花ものがたり 若葉の章 〜文化祭〜

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 花水木歌劇団養成所の生徒に夏休みはない。
 それどころか、八月は一年でいちばん忙しい月だ。各地の盆踊りや夏祭りにゲスト出演したり、学校が休みの子供たちにボランティアで日本舞踊を教えたり、原爆の日や終戦記念日関連の公式イベントがあったり……そして最も時間をとられるのが、毎年十月一日に開かれる養成所の文化祭の準備である。
 文化祭では、脚本から音楽、衣装、小道具、大道具、演出まですべて生徒だけでやらなければならない。それも、素人だから適当でいいというものではなく、歌劇団で実際働いているプロのスタッフの厳しい指導が入る。文化祭を経験することによって生徒たちは裏方の大変さや重要性を身をもって学べるのだ。
 ここでも年功序列は生きていて、二年生が演目や配役、仕事の担当を取決め、一年生はたいてい裏方をやらされる。
 布美子と瑞穂は衣装係を命じられ、暇さえあればひたすら黒いマントを縫っていた。

「あぁもう黒い色見るのも嫌。休憩していい?」
「どうぞ」

 八月の上旬、東京都心の歌劇団本部ビルにある寮は、暑いなどという言葉では言い表せない熱気がこもっている。そこで真っ黒い布と格闘しなければならないなんて、瑞穂にとっては苦行でしかない。
 瑞穂は制服のズボンを脱ぎ捨て、下着に半袖シャツだけ羽織っただらしない格好で部屋の冷蔵庫の前にしゃがみ込んだ。

「布美子、アイス食べようよ」
「食べれば?」

 布美子は瑞穂には目もくれず修行僧のようにちくちくと縫い針を動かし続けている。

「そんなに一生懸命やってたら倒れちゃうよ」
「時間がもったいないでしょ。早くドラキュラ14人分のマント作って試験の勉強したいのよ」

 来月の初めには中間試験が控えていた。試験は一年に二回、九月の中間試験と二月の期末試験があり、その結果によって布美子は来年度の主任でなくなる可能性もある。布美子が何が何でも次の試験で一位を死守したいと思っているのが瑞穂にはわかった。

「布美子なら一位確実じゃん」

 瑞穂はベッドに胡坐をかき、ガリガリ君の包みをむいて冷たい塊をかじり始めた。

「それにしてもドラキュラ14人って設定、クレイジーだよね。二年生は20人しかいないのに。いったいどんなミュージカルだろ」
「わからない。豊原さんは脚本がまだできてないって言ってた」
「ねえ、脚本できて、やっぱりドラキュラは10人でいいですってことになったらどうする?」
「惑わさないで」

 布美子は瑞穂を睨んだ後、そういえば、と手を休めた。

「ドラキュラにちなんで、一年生は幕の開く前にヴァンパイアダンスの曲を合唱することになったそうよ。私たちの出番はそれだけだから、練習がんばらないとね」

 これだけ一生懸命に準備をしている舞台の出番がコーラス一曲だけだとは瑞穂は夢にも思っていなかった。どうやら文化祭も、例によって年功序列のイベントのようだ。

「幕の前で合唱するだけ? こんなにマント縫ったのに? やってらんないわマジで」
「そういうものなの。私たちは来年主役をやるんだから、順番順番」
「へえ、そうですか」

 瑞穂は自分の携帯を取り出し、インターネットで動画を検索した。ヴァンパイアダンスという作品を知らなかったので、とりあえずどんな曲かを知りたかったのだ。
 作品名で検索すると、カーテンコールで主題歌を歌っているキャストの動画がすぐに出てきて、見たとたん瑞穂は大興奮した。

「この歌かっこいいじゃん! ドイツ語だから何言ってるかわからないけど。最初の芝居っぽいソロは布美子でしょ?」
「歌詞は日本語訳があるの。ソロは二年生が決めるんじゃない?」
「なんだ、それも二年生か。つまんねぇ。振り付けも二年生?」
「振りなんかないわよ。合唱だもの」

 ええっ、と瑞穂は思わず立ち上がった。

「でもこれ、踊ってるよ?」
「それはオリジナルでしょ。文化祭の一年生の合唱は制服姿で直立不動って決まってるの、花水木歌劇団養成所の伝統よ」

 布美子は縫い物の手を休めずに言った。

「揃っててとても綺麗で、文化祭の名物なのよ。私、毎年見に行っていたんだけど、一年生の合唱はいつも楽しみだった」

 しかし瑞穂は納得がいかなかった。携帯を布美子のうつむいた顔の前につきつける。

「でもこれ見てよ! もともとこんな楽しい歌なんだよ? ミュージカルのダンスナンバーなのに直立不動なんておかしくない? 私たちで作ろうよ、ショークワイア」

 布美子は困ったような顔で瑞穂を見上げた。

「私もその動画は何度も見てるしドイツ語でも歌えるくらい歌も覚えてる。だけど今回は養成所の文化祭なんだから、勝手なことはできないわ」

 瑞穂は舌打ちしてベッドに転がった。

「あーあ。私が主任だったら絶対やるのに」
「もう休憩は終わった? マントの続きやってよ」

 布美子はまったく聞く耳も持っていない様子だった。しかし瑞穂の頭のなかでは猛スピードで計画が立てられていた。



 8月15日の夜。
 九段会館で行われた終戦の日記念コンサートは無事に終演し、瑞穂たち一年生は楽屋を片付けたあと寮の部屋に戻ってやっと一息ついた。

「これで今月の本番はあと一つね」
「マジ疲れた。明日授業休みじゃないとか信じられないよ」

とりあえずどさりとベッドに寝転がったとき、部屋の内線電話が鳴った。

「はい、511号室の杉山です」
『一階受付です。宅急便が届いているので取りに来てください』
「来た!」

 瑞穂の胸は躍った。通販で注文しておいた物が届いたに違いない。

『印鑑を持ってきてくださいね』
「わかりました」

 受話器を置き、机に向かって何かの勉強をしている布美子の背中に声をかける。

「布美子、ちょっと荷物取りに行ってくる」
「行ってらっしゃい」

 はたして、届いていたのは通販会社の段ボール箱だった。誰にも見られないよう素早く部屋に戻ってさっそく箱を開けてみる。

「うわ、すっげえ」
「何を買ったの?」

 めずらしく布美子が勉強を中断して振り向いたので、瑞穂は買ったばかりのアイテムを自慢した。

「ほら、見て」

 瑞穂がそれを身に着けてみせたとたん、布美子は押し殺された叫び声をあげた。それはリアルな形の半透明な牙だったのだ。マウスピースのように口にはめると人相が変わってホラーの雰囲気になる。

「一年生全員分買ったんだ。それとこのドイツ語の合唱譜も。さっそくみんなの分コピーしなきゃ」
「何をする気なの?」

 布美子の顔がだんだん険しくなってきた。もしかしたら見せたのは失敗だったかもしれない。

「ヴァンパイアダンスの合唱、面白くしようと思って。もうみんなに話して賛成してくれてるよ」
「そんなことしたらどうなると思う!?」

 布美子は瑞穂につかみかからんばかりに詰め寄ってきた。一年生が何をしても布美子の責任になることはもちろん瑞穂もわかっている。しかし、舞台に出る以上は、観客を喜ばせることが一番の正義だと瑞穂は思うのだ。

「本番までは秘密にしてればいいじゃん。照明のプログラミングも音楽テープの編集も全部一年生がやるんだから、できるって。もう頭の中では演出でき上がってるんだ。大ウケ間違いなしだよ。逆に褒められるんじゃないかな」
「許されるわけないでしょ、絶対に。私はその計画には加わりませんからね」

 その言い方が瑞穂の癇に障った。

「へーえ、そっか。布美子は主任だし責任もあるだろうし決められたこと意外はやらないよね、優等生だから」

 嫌味ったらしく声を大きくしても布美子は無表情に顔を背けて机に戻ってしまった。

「あ、わかった! 布美子意外のやつが主任になればいいんだ。よし、今度の試験、朱里が一番になるように応援しようっと。朱里はまっさきに協力してくれるって約束してくれたもんね」

 怒るかと思いきや、布美子は椅子をくるりと瑞穂のほうへ回し、落ち着き払った様子で答えた。

「他人の試験を応援するのは結構だけど、瑞穂、自分の試験の準備できてるの? 瑞穂は実技と英語は得意なんだから、芸能史と法律のまとめノートさえ丸暗記すれば私よりいい点数がとれるんじゃない? 他力本願しないで自分で一番奪ってみなさいよ」

 その言葉に瑞穂ははっとした。そう言われればバレエもジャズダンスもタップダンスも、クラスで自分より出来る人はいない。それに日本舞踊もなかなか楽しくなってきた。
 入学試験の成績が最下位だったことで劣等生意識が頭に染みついていたけれど、本当は自分も今の実力ではそこそこの場所にいるのかもしれない。試験なんてくそくらえと思っていたが、急にやる気がふつふつとわいてきた。

「わかった。それじゃあ、まとめノート貸してよ」
「はいどうぞ」

 布美子は大学ノートを二冊、瑞穂の前に放り出した。そのノートの中の全ての漢字にふりがながつけられていることに、そのときの瑞穂は気が付きもしなかった。



 九月になり、中間試験が始まった。
 実技の試験は、複数の試験官の前で一人ずつ行われる。
 布美子にとっては入学試験の何倍も緊張する試験だった。すべての試験で顔がひきつっていた自覚がある。言われた課題は失敗なくこなせたものの、プラスアルファの加点がもらえるような演技ができたかどうかは全く自信がなかった。
 布美子は地元の花水木歌劇団受験予備校に小さい頃から通っていただけだが、同期生の中にはバレエで海外留学していたような子も何人もいるし、日本舞踊のコンクールで優勝した子や音大の声楽科を中退している子もいる。瑞穂に至ってはブロードウェイでの舞台経験まである。人事部が『今年の養成所の研修生は即戦力のスペシャリストを採用した』と発表したのにも関わらず、自分が何のスペシャリストでもないことが布美子のコンプレックスだった。
 試験結果は、翌週の月曜日に全員に配られた。

「岸田布美子さん」
「はい」

 呼ばれて教壇の前で養成所長から成績表を受け取る。恐怖で手足が冷たくなり、心臓が早く打ちすぎて気持ちが悪い。
 浅い呼吸をおさえ、布美子は自分の席に戻るやいなや震える手で成績表を開いた。
 バレエ87点。ジャズダンス89点。タップダンス83点。日舞92点。声楽95点。演技92点。ピアノ80点。学科はすべて100点満点。平均91.7点の一位だった。
 嬉しさがこみ上げて顔に出そうになるのをおさえながら再び隅々まで点数を確かめる。間違いなく一位だとわかると、とにかくほっとして心が一気に軽くなった。

「後期の主任も引き続き岸田布美子さんにお願いします。来月は文化祭もありますし、みなさんさらに気を引き締めて研鑽に励んでください」
「はい」

 休み時間になると教室は成績表を見せ合う生徒たちで騒然となった。自分が誰より上で誰より下か、把握しようとしているのだ。全員の順位表を教師にもらいにいかなければ、と布美子が思っていると、瑞穂が思いっきり自分の成績表をひらひらさせながら駆け寄ってきた。

「布美子! 見て見て! 私、二番だったよ!」
「ええっ」

 瑞穂の成績表は、バレエ・ジャズダンス・タップダンス・演技・英語と100点満点が並び、目を疑うほどの好成績だった。日本語の学科が足を引っ張らなければダントツの一位だっただろう。
 面倒を見てあげなければいけない落ちこぼれだと思っていた瑞穂が、舞台人としての能力は完全に自分より上であることをまざまざと見せつけられ、布美子はしばらく反応ができなかった。

「……惜しかったじゃない」
「ねえ、頑張ったから御褒美ちょうだい」
「何が欲しいの?」
「文化祭でヴァンパイアダンスの冒頭のソロ歌ってよ。ドイツ語で」

 こんなに素晴らしい成績をとったのに相変わらず子供っぽい計画にこだわる瑞穂に、布美子は呆れてしまった。

「まだそんなこと言ってるの? だめだって言ったでしょ。文化祭の合唱にはソロはないし、歌詞は日本語よ」

 瑞穂はなぜか得意そうにふふんと鼻で笑った。

「まだそんなこと言ってるのは布美子だけだよ。みんなで練習したんだ。見て」

 言うやいなや瑞穂は流暢なドイツ語でアカペラで歌いだした。すると、クラスの皆がにやにやしながら集まってきて、2コーラス目から合唱になった。
 たった19人の、しかも4部に分かれての合唱なのに、その迫力と厚みは伴奏なしでも鳥肌が立つほどだった。全員がドイツ語の歌詞を完璧にマスターしている。そのうえ、誰が考えたのかヴァンパイアらしい動きの振りが付いていて、全員がヴァンパイアになりきり、布美子へ襲い掛かってくるようだった。
 これをもしも舞台で演じたらどんなに素晴らしいショウになるだろう。
 歌い終わった教室に布美子一人だけの拍手が響いた。

「よくできてるわ。いつ練習したの?」
「布美子がガリ勉してるとき。丹野ちゃんがドイツ語教えてくれて振り付けもしてくれたんだ」

 ドイツにバレエ留学していた娘役見習いの丹野麻里亜がくるくるした瞳を楽しげに輝かせて言った。

「私このミュージカル大好きでドイツに住んでるとき何回も見に行ったの。だから絶対、かっこいい場面にしたかったんだ。ねえ主任、今のパフォーマンスどうだった?」
「すごく良かった。感動したわ。だけど文化祭の合唱は養成所の伝統だから、それとこれとは別の話よ」

 直立不動の一糸乱れぬ合唱は、人生のすべてを研修に捧げている真摯な学生であることを表すパフォーマンスなのだ。税金を投資されている養成所の生徒には、とにもかくにもストイックさが求められる。

「第一、二年生の方の許可がないと勝手に変更できないでしょ。豊原主任に見て頂く?」
「だめだめ、そんなのいいなんて言うわけないさー。二年生の出し物より面白いんだもん」

 のんびりした口調で言ったのはおそらく試験で三位か四位には入っているだろう宮下朱里だ。

「朱里、すっかり瑞穂に感化されちゃってるわね……」
「主任も一緒にやろうよ。すっごく楽しいよ。瑞穂のおかげで思い出したんだ。私たち、舞台に立ちたくてここに入ったんだってことを」

 周りを見回すと、19人の同期たちは皆、笑顔で布美子を見つめていた。
 自分だけが孤立している―――そう布美子は感じた。
 このままでは、布美子が何を言っても、皆は無視してやりたいようにやるだろう。それはすなわち、布美子に統率力がないということだ。そしていつのまにか同期のリーダーの役割が瑞穂に移ってしまったということだ。
 布美子は覚悟を決めた。
 どうせやるのなら、自分の指揮のもとでやらせなければならない。暴走を止められなかった無力さを怒られるよりも、正面から責任を問われたほうがまだましだ。

「わかったわ。じゃあ、約束して」

 布美子は大きく息を吸い込んで全員の目を見渡した。

「私が最初のソロをドイツ語で歌ったら、今のショウをやって。でも、もし日本語で歌ったらお稽古どおりの合唱をする。当日の状況を見て判断するわ」
「布美子……」
「お願い。私の言うとおりにして」

 布美子は背の高い瑞穂の目を祈るように見上げた。

「うん、わかった。私たち、主任に付いていくよ」

 不意に肩に温かい手を置かれて振り返ると、宮下朱里が屈託のない笑顔を浮かべていた。

「後で怒られたとき、自分が指示したって言ってくれるつもりなんでしょ? 主任、いつも一人で全部背負い込もうとしてるよね」
「布美子、そうなの?」

 瑞穂は子犬のようにきらきらとして期待に満ちた瞳で見つめてくる。布美子はなぜか目を合わせられずに視線をそらした。

「主任が責任とるのは当たり前よ。だから、最終的な判断は私に任せてほしいの。いい?」
「OK、布美子を信じる」

 瑞穂の長い腕に突然抱きしめられ、布美子は複雑な思いのまま皆の喜ぶ声を聞いていた。



 布美子は目を閉じ、深呼吸した。
 夏から何か月も準備してきた文化祭の本番の幕がいよいよ開く。
 会場となる赤坂小劇場の客席を埋め尽くしているのは、普通の客だけではない。養成所の教師や生徒の家族友人、本部の職員、そして先輩劇団員たちもいる。怖くないと言えば嘘になるが、もう心は決めていた。自分たちのパフォーマンスを全力でやりきるしかない。
 一年生20人は円陣を組み、布美子の「行くわよ」という囁きに無言でいっせいにうなずいた。

「本日は、花水木歌劇団養成所の文化祭にご来場くださいまして、まことにありがとうございます。ただいまより、一年生による合唱『ヴァンパイアダンス』、二年生によるミュージカル『28の牙』を続けて上演いたします。お目まだるき点も多々あると存じますが、ご高覧いただき、ご指導ご鞭撻を賜りますようお願いいたします」

 豊原のアナウンスに続けて緞帳が上がり、録音の前奏が流れ始めると、客席がざわついた。本来すぐに明るくなるはずの舞台が真っ暗だからだ。そして、歌が始まる瞬間、ソプラノパートの前列に立っている布美子にスポットライトが当たった。宮下朱里がプログラムした隠し照明プランが発動したのだ。
 布美子は眩しい光に負けないよう全身に力を込めて歌った。


「安良岡理事長がおほめになっていたから私たちは何も言えないけど、わかってるわね? もしこれが文化祭でなく本公演の舞台だったら、全員首どころじゃすまされないわよ。舞台は大勢の力で成り立ってるってこの文化祭で身をもって学んだはずでしょう。勝手なことをやって成功するなんてありえない」

 布美子はうつむいて豊原の言葉を聞きながら、今夜はいくらでもお説教を聞いてあげると思った。それくらい、心に羽が生えたように嬉しさでいっぱいだったのだ。
 一年生のパフォーマンスは大成功をおさめた。付け牙をつけ、手のひらに隠した口紅を血のように顔に塗りたくったヴァンパイアたちは、客席通路に飛び出して行き、来賓を脅かしながら一糸乱れぬ迫力の合唱を披露した。最後は会場じゅうが手拍子になり、ノリのいい劇団員の口笛が飛んでいた。
 あの興奮を、布美子は一生忘れないだろう。

「本当に申し訳ございませんでした」

 後ろで一年生全員がいっせいに頭を下げる。

「申し訳ございませんでした」

 豊原はため息をついた。もう怒るのを諦めたらしい。

「今夜は全員で反省会をして、明日の6時に全員反省文を提出すること。しっかり書けてない人は書き直してもらいますからね。それと、今年いっぱいは週末の外出は禁止。勉強に打ち込んで反省しなさい」

 瑞穂がえーっと小さな声を上げそうになったので布美子は慌てて彼女の膝を叩いた。
 豊原が出て行った後、一年生だけになると、みなこらえていた満面の笑顔を爆発させて囁き声で成功を喜び合った。

「あれって自分たちのミュージカルよりウケてたから機嫌悪いんだよ、絶対」
「そんなこと言わないの。私が二年生の主任でも同じこと言うわよ」
「へえ、じゃあ布美子は反省してるの?」
「全然」

 ぺろりと舌を出すと瑞穂に頭をぐしゃぐしゃにかき回された。

「それにしても、ほんとに主任が協力してくれるなんて、本番始まるまで信じられなかったわ」

 ドイツ語指導をしてくれた麻里亜が言うと、宮下朱里も頷いた。

「私もああは言ってたけど、主任のソロが聞こえてきたときマジで体が震えた。ありがとう」

 布美子は首をふった。

「今回、みんなが本当にひとつになってるのを見て、私、自分だけが孤立してるって感じたの……一○六期は一心同体になってなくちゃいけないのに、それを乱してるのが主任だったら、私は何のためにいるんだろうって……だからたとえどうなってもみんなと一緒に進むことにしたのよ」

 ダンスの得意な男役見習いの吉水朋子(よしみず ともこ)が布美子に近づいてきて低い声で言った。

「私、主任のこと誤解してたかも。試験の前は、みんなが文化祭の準備で必死なのに自分のことばっかりやってるって思ってたし。先生とか先輩とかと同じ“あっち側の人”だって思ってた。でもやっぱり主任は同期の星だよね」
「うんうん、今日ソロ歌ってるの聞いて超誇りに思ったもん」

 鶴木めぐみも頷く。

「でしょ! 布美子は一○六期のお父さんでお母さんでトップスターで守護神なんだって」

 瑞穂の腕が急に首に絡みついてきて、布美子は恥ずかしくなってその中から抜け出した。

「言い過ぎ。……あ、楽屋に差し入れがあったの忘れてた。めぐちゃん、開けてみて」
「差し入れって禁止なんじゃなかったの? 私、お父さんにいらないって言ったのに……誰からだろう」

 鶴木めぐみが開けた薄い箱の中身は、二十人分はたっぷりあるチョコレートの詰め合わせだった。

「カードが付いてる! 『可愛いヴァンパイアたちへ。劇団員有志より』だって」
「匿名のプレゼントかあ」

 その添えられた薄紫色のカードを見て、布美子はあっと思った。細くて右に傾いた、角の立った筆跡に見覚えがある。
 以前、花水木歌劇団の機関誌『月刊はなみずき』でスターの直筆年賀状という企画があり、布美子はそのページを切抜いて宝物にしていた。『明けましておめでとうございます。今年も貴方と幸せな時間を共に過ごせますように。松団・粟島甲子』……何度も何度も見たその筆跡と、差し入れのカードの字はそっくりだったのだ。

「お願い、そのカード、私にちょうだい」
「布美子、どうしたの?」
「何でもない」
「何でもないわけないじゃん。顔色変わってるよ。……あ、もしかして……」
「何でもないって言ったでしょ。はい、みんな早く反省文書いて寝るわよ!」

 怪しんで顔を覗き込んでくる瑞穂をあしらっていると、朱里がチョコレートの箱を持ち上げた。

「その前にチョコ食べようよ。プチ打ち上げってことで」
「いいね!」

 その夜のチョコレートの味は、甘く甘く布美子の心に染みこんでいった。

初デート
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