12月に入って合同公演の稽古が始まると、花水木歌劇団の劇団員たちは、毎晩終演後の遅い時間に疲れた体に鞭打ってなけなしの集中力をかき集めなければならない。精神的にも肉体的にも限界に近い日々だが、そんな中でも、三団の団員が一緒に舞台を作りあげているという興奮が団員たちの気持ちを浮き立たせていた。 松団準トップの粟島甲子は、稽古場の隅の椅子に座り、梅団のWトップたちが振付を受けているのをちらちらと眺めながら自分の楽譜を確認していた。すると、さっきから隣で居眠りしているとばかり思っていた松団トップの才原霞が急に身を寄せてきた。 「なあ、粟島、知ってる? 磯田と井之口、付き合ってんねんて」 才原の息が耳にかかって、粟島は思わず眉をしかめた。内緒話もこんなにあからさまなやり方ではかえって目立つというものだ。 「知りませんよ」 ぼそりと即答し、視線は楽譜に固定する。そうでもしなければつい梅団のWトップをまじまじと見つめそうになってしまうからだ。それくらい、二人のスキャンダルは粟島には奇異に思えた。 「梅団の柳からの情報や。もう梅団では常識らしいで」 「耳元で喋らないでください」 だんだん周囲の視線が自分たちに集まってきたのを感じ、粟島は片手で才原を振り払って座りなおした。才原の唇がこしょこしょとくすぐった耳が痒い。これでは逆に松団のトップと準トップがあやしいという噂が立ちそうだ。 「なんや、粟島、興味ないん? 磯田と友達やと思ってた」 「ただの後輩です」 「ふうん」 不満そうな相槌をよこし、才原は腕組みをして固いパイプ椅子の背にだらりともたれ掛った。 「磯田、本気なんかなあ……あいつの男関係で良い噂聞いたことないねんけど」 その言葉には粟島も頷かざるを得ない。 養成所時代に一つ下の学年だった磯田を粟島はよく知っていた。磯田は入学当時から誰よりも目立っていた上に、規律の厳しい寮生活において無断外泊の常習犯だったので、人のことは言えない粟島も必要に迫られて注意したことが何度かあったのだ。 それに比べて井之口は品行方正な優等生で、その二人がくっついたというのは大いに謎である。 「本気だなんて信じられませんね。どういうつもりなんだか……。まあ、関係ないですが」 「関係はないけど、井之口のことが心配やねん」 「才原さん、井之口とも知り合いなんですか?」 面倒見のいい人だとは知っていたが、年に一度しか共演しない他の団の後輩まで目を配っているとは、さすがの粟島も驚いた。 「粟島は竹団におったから知らんやろうけど、昔、大路さんが井之口を相手役にしたがってはってな……あの子はほんま純粋でいい子やねん。せやから遊ばれてるのか気になって……」 大路さんというのは7年ほど前の松団のトップで、才原が準トップをつとめていた人だ。粟島はそんな裏話はまったく知らなかった。そもそも井之口は入団以来ずっと男役として活躍していたから、娘役トップ候補などとは思いもよらなかったのだ。 それにしても、松団のトップである才原が他団の後輩のプライベートな恋愛事情まで心配するのは、粟島には行き過ぎに感じた。才原は井之口のことがよほど気に入っているらしい。 「別にいいじゃないですか、遊ばれても。妊娠させられるわけでもなし」 「……粟島に相談したのが間違いやったわ」 黒目の効く瞳でぎろりと睨まれ、粟島は、失われた名誉を挽回するために仕方なく聞いた。 「で、私にどうしろと」 「磯田の前で井之口にわざとちょっかい出して、反応を見る。怒るか知らんふりするか」 「くだらな……」 「あ、粟島は口説かれたことしかないんやったっけ。自分から行くのはプライドが許さへんの?」 才原は妙に楽しそうに椅子の下で足をぶらぶらさせている。粟島は仕事の疲れもあってついカチンと来た。 「井之口ならいいですよ」 「へえ。なんで?」 「可愛いから」 「……ふーーーーーーん」 長い長い相槌の後、才原はもう話しかけて来なくなった。年甲斐もなく嫉妬しているらしい。 まったく面倒くさい女だと思いつつ、そんなところも可愛いと感じてしまう。粟島は緩む頬を誰にも気付かれないようポーカーフェイスに力を込めた。 続き→読者リクエスト対談 トップへ戻る Copyright (c) 2013 Flower Tale All rights reserved. |