隠し事




「これ、何?」

 新居への引っ越しの最中のことである。
 開けたばかりのダンボール箱の中に入っていた見覚えのないDVDを見て反射的に尋ねた井之口は、すぐに訊かなければ良かったと思った。
 それは問うまでもなくいわゆるアダルトビデオというものだった。同居することになったとはいっても究極のプライバシーの範疇に属する物である。
 形がDVDというだけで、磯田の好きな映画か何かだと勘違いして一瞬興味を持ってしまったのだ。井之口は見なかったふりをしようと急いで箱に押し込み蓋をした。

「え?」

 しかし、無視してほしい時に限って磯田の勘の良さは抜群である。

「その荷物、私のだよね。中見たの?」
「……あ、うん。ごめん」

 悪いことをしたわけでもないのに井之口は思わず謝ってしまった。磯田は別段動揺しているふうでもなく、ダンボール箱の蓋を開けて、 迷うことなく先ほど井之口が手にしたのと同じDVDを引っ張り出した。そして、後ろめたさのかけらもなさそうに尋ねてくる。

「夕子、こういうビデオ見たことある?」
「あるわけねーだろ」

 井之口は突きつけられたDVDからきっぱりと目を逸らして、別のダンボール箱を開ける作業を始めた。

「なんで女のくせにAVなんか持ってんだよ。おかしくない?」

 赤くなったのを隠そうと相手を非難してみたが、磯田の答えはますます井之口を困惑させるだけだった。

「別に普通でしょ。これ中身もノーマルだし、こんな物くらい誰でも持ってるよ。ねえ、夕子も食わず嫌いはやめて勉強のために一度くらい見てみれば?  あ、私も横で一緒に見てあげるよ。同時解説つきAV鑑賞会。至れり尽くせりだねー」

 井之口はカッとなって磯田の持っているDVDを奪おうとしたが、リーチの差でまったく届かない。仕方なく手を伸ばしたまま言った。

「そんなこと言うなら捨てる。ちょうど明日燃えないゴミの日だし」
「ええっ、私の物なのに勝手に捨てないでよ! お気に入りなんだから」
「お気に入りって……。不潔だろ! 俺は未央がそういうの持ってんのが嫌なの」
「ふうん。じゃあ、捨てていいから、その前に最後にもう一回だけ見ていい?」
「……勝手にすれば」


 その晩、井之口が風呂から上がると、リビングには飲み物を片手にソファで寛ぐ磯田の姿があった。
 先に入浴を済ませた磯田はファンからのプレゼントの赤いバスローブを着ている。そしてその磯田が視線を向けている四十二型のテレビには、ほとんど音を消した状態の、件のDVDが流れていた。
 井之口はリビングに入る一歩手前で引き返した。しかし、この家の構造上、リビングを通り抜けなければ寝室には入れない。脱衣所に立ち止まってどうしようと考えていると、夜の静けさのなかに小さなテレビの音声がわずかに漏れ聞こえてきた。
 こんな声を出すものなのか、と、井之口は引き寄せられるようにこっそりとリビングを覗いた。画面の中でうごめくものは、磯田の後姿に邪魔されて肝心のところが見えない。それでも、初めて目にする男女の交わりに、自然に画面に釘付けになってしまう。
 しばらくすると、磯田がふと振り返り、おいでと手招きした。こそこそ隠れて見ているのも恥ずかしいので井之口はソファへわざと勢いよく座って磯田の体に肩をぶつけた。 暴れないの、と磯田に片腕を回され抱きしめられると、赤いバスローブがふわふわして気持ちいい。
 映像はすでに佳境へ差し掛かっている。井之口は画面をぼんやり見つめて無意識に呟いた。

「未央が男じゃなくてよかった……」 

 それを聞いた磯田は、ぷっと吹き出したかと思うと大きな口を開けて笑いだした。目に涙まで浮かべている。
 井之口は、心の中で言えば良かったことをつい口に出してしまった自分を責めたが、同時に、そんなに笑わなくてもいいのに、と磯田に腹が立った。

「夕子にはちょっと刺激が強すぎたね」

 笑いを収めながら磯田はさりげない仕草でテレビを消してくれた。その優しさが気恥ずかしくて、つい当たってしまう。

「子供扱いすんなよ」
「えー? 大人は寝るときヤダヤダってぐずったりしないよね?」

 からかわれてついムキになる。

「ヤダなんて言ってないじゃん、最近は」
「そうだっけ? いつも体が逃げてベッドから落ちそうになってるか、身動きできないくらい私にしがみついてるかのどっちかじゃない」

 言うとおりなので否定できない。磯田を愛している自分に素直になりたい、だから言葉では拒否するまいと決めた。
 だが、どうしても体は言うことをきかない。最初は我慢していても、途中でやっぱり耐えられなくなってしまうのだ。

「……それでも頑張ってんの、俺なりに」
「もう、夕子、可愛すぎる。ねえ、誘ってるでしょ」
「誘ってねえよ! ってか二人でAV見ようとか言ってる時点で未央がおかしいだろ」
「ふふ、ばれた? さっきのあれやってみようか」
「絶対ヤダ!」

 井之口は言わないように努力していた言葉を思いっきり叫んで、ソファから転がり落ちるように磯田の腕を逃れた。


おわり

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