花ものがたり 銀座案内

【銀座三丁目】


 風の強い、ある春の日。
 数寄屋橋交差点の交番前の桜の木は、満開を通り過ぎて花びらが激しく吹き荒らされていた。その木の下で待ち合わせをしているのが、竹団トップ娘役の久米島紗智(くめじま さち)と、松団トップ娘役の大貫優奈(おおぬき ゆうな)だ。

「さっちゃん、お待たせ」

 久米島は斜め左から声をかけられて振り向いた。伊達めがねにロングワンピース姿の大貫が、風に乱されたウェーブヘアを抑えながら駆け寄ってくる。

「優奈さん、お久しぶりです」

 同じ女でありながら、そして同じ娘役でありながら、ふんわりとした大貫の優しい雰囲気が久米島は大好きだった。文句なしに可愛いうえに一緒にいるだけで癒される。先輩なのに偉そうなところのない大貫を久米島は心から尊敬していて、合同公演で共演して仲良くなってからは、お互いの舞台や稽古の合間にこうして待ち合わせてショッピングに行くこともしばしばだった。
 彼女たちにとってショッピングというのは仕事のひとつだ。普段どんな服を着てどんなアクセサリーを付けてどんなメイクをしているか、それが全国の花水木歌劇団ファンの見る夢の一部分になる。
 容姿の長所と短所を把握し、いちばん自分に似合う女性像を見つけ、それを実現させていくのは意外と難しいものだ。ファッションの勉強をして緻密に計算する者もいれば、もともと勘やセンスが良い者もいる。久米島は前者で大貫は後者だが、どちらにしても楽しんでやっているのに変わりはない。娘役などという職業を選んだ女性はたいていファッションが大好きなのだ。

「私も髪まとめてくればよかった」

 強い風に閉口して大貫が言う。久米島は天候に合わせて用意周到に編み込みのお団子にしてきていた。

「すぐお店に入れば大丈夫ですよ。行きましょう」

 二人は姉妹のように腕を組んで歩き出した。

 銀座三丁目にあるプランタンデパートは、彼女たちのよく行くスポットだ。
 二人が銀座をクルーズするとき、ここは絶対に外せない。正月になると豪華な福袋が売り出されるのも有名で、観劇前に早朝から行列に並んで大きな紙袋を手に劇場へ来る観客も少なくなかった。

「そのブラウス可愛かったね。私も欲しいなあ……。お揃い買っちゃおうかな。さっちゃんそういうの嫌?」

 先ほど久米島がゲットしたばかりの丸襟のブラウスを大貫はとても気に入ったらしく、申し訳なさそうに久米島の顔を覗き込んでくる。

「そんな、全然嫌じゃないですよ。優奈さんとお揃いなんてとっても嬉しいです」

 うふふ、と止められない笑いを漏らしながら、久米島はもう一度さっき見たコーナーへ戻った。

「優奈さんにはモノトーンよりピンクのほうが似合いそうですね」
「そう?」

 大貫は鏡の前で白黒のブラウスとピンクのブラウスをかわるがわる当てている。たった今ピンクのほうが似合うと言ったものの、久米島の目にはどちらも同じくらい似合っているように見えた。可愛い人は結局どんな服を着ても可愛く見えるのだ。

「じゃあ、ピンクにしようっと。さっちゃんのセンスを信じて」

 大貫は白黒のほうを元に戻し、ピンクのブラウスを手にしていたずらっぽく微笑んだ。

「そんな、責任重大です! 優奈さんのファンの方に、なんであんな趣味悪いの着てるの?って思われちゃったら……」
「大丈夫大丈夫。ファンの方は目ざといから、きっとさっちゃんと色違いだわって気付いて楽しんでくださると思う。ほら、そういうのも大事じゃない?」
「たしかに」

 通勤時やファン向けの月刊誌などからかすかに読み取れる劇団員の私生活と、そこに垣間見える劇団員同士の人間関係に思いをはせるのも、花水木歌劇団ファンの楽しみのひとつなのだ。子供のころから花水木歌劇団を見ていた久米島にはそのファン心理がよくわかる。大貫と久米島が色違いのブラウスを着ていることに気付いたファンは、その情報だけで二人の仲の良さを想像してわくわくした気持ちになれるのだ。

「それじゃあこれお会計してくるからちょっと待ってて」
「はい」

 しかし、いったんレジへと向かいかけた大貫は、何か思い出したように振り向いた。

「ここまで私の行きつけのお店に付き合わせちゃったから、次はさっちゃんの行きたいお店に行こうね。どこがいいか考えておいて」

 にこっとされて、久米島は思わず頬を赤くしてしまった。大貫から醸し出されている幸せオーラは周囲への影響力が絶大だ。
 店を出てすぐのところにエスカレーターがあり、デパートの各フロアの案内板が出ている。大貫に言われるまま、次はどこへ行こうかとその案内を眺めていると、五階のとある店に目が留まった。
 『ディア・ハート』という名前のその店は、若い女性向けの手ごろな価格のランジェリーショップだ。二か月ほど前にオープンしたばかりで、久米島もまだ一度しか訪れたことがないが、なかなかに夢夢しくスイートなランジェリーがそろっていたのでまた行きたいと思っていた。
 この店ならば大貫の好みの物もありそうだ。

「お待たせ。どこに行くか決まった?」
「はい。五階に可愛い下着屋さんがあるんですけど、行ってみませんか?」
「行く行く! 下着大好き!」

 喜ぶ姿を見てほっとしたのもつかの間、大貫はふと久米島を見て小首をかしげた。

「ねえ、そこのお店って、Fとかのサイズある?」
「え……」

 久米島は固まった。自然と視線が大貫の豊かな胸元へひきつけられる。
 久米島は今まで下着店に自分のサイズがあるかどうかなどまったく気にしたこともなかった。それはもちろん、店によっては置いていないような立派な大きさではないからだ。

「優奈さん、それって嫌味ですか?」

 唇をとがらせ機嫌を損ねたふりをして、久米島は素早く大貫の胸に手を伸ばして触った。大貫はキャッと笑いながら逃げる。

「ううん、ごめんごめん。行こう!」

 手のひらに残ったふんわりしたぬくもりを握りしめて、久米島は、はしゃぐ大貫の後ろを追いかけていった。

 エレベーターで五階に上がり、店の前まで来たとき、久米島は店内の奥の棚の前にいる一人の客に気付いた。
 パステルカラーのフリルやレースでいっぱいの店内にはふさわしからぬ、グレーの柔らかいスーツを着たショートカットのすらりとした客だった。腰の細さや姿勢の良さ、匂い立つオーラで、花水木歌劇団の男役だとすぐにわかる。彼女は目の前の棚に並んだブラジャーを真剣な表情で見つめていた。

「優奈さん、あれって……」

 大貫の肘をつかんで囁くと、その男役を見た大貫は止める間もなく叫んだ。

「あっ、才原さん!」

 久米島は、どうもプライベートな買い物のようなのでそっとしておいたほうが良いのではないかと思ったが、大貫は飼い主に飛びつく犬のように店の奥まで走り寄っていく。
 呼びかけた瞬間こちらを振り向いた才原は、案の定、まずいところを見つかったという顔をしていた。

「お買い物ですか?」
「あ、ああ……、優奈も?」
「はい。竹団の久米島紗智ちゃんと一緒に」

 久米島は大貫の一歩後ろでぺこりと頭を下げた。

「久米島もおったん」
「はい。お久しぶりです。今日は優奈さんとご一緒させていただいてます。お休みのところお邪魔してすみません……」

 そろそろこの場を去らなくてはと大貫の腕を取ろうとしたそのとき、大貫の体は才原のさらに近くへとジャンプしていた。

「こんな可愛い下着を集めてらっしゃるなんて、才原さんもすみにおけませんねえ」

 才原は焦ったように手を振った。

「あ、や、違うねん、プレゼントにと思って……」
「ええっ! 誰にですか?」

 自分ならば絶対聞けないことにあくまでも切り込んでいく大貫に久米島はびっくりしたが、この二人のトップコンビの間ではこういう会話は日常のことらしい。

「そんなん、もちろん、優奈に決まってるやん。ほら、来月でコンビ一周年やし……」
「わあ、ほんとですか? 嬉しいです!」

 大貫はとろけそうな笑顔を見せた。
 相手役に一周年の記念に可愛いランジェリーをプレゼントするなんて、才原にも優しいところがあるのだなと久米島は思った。いつも大貫から才原が冷たいとかそっけないとかの愚痴を聞かされていたが、なかなかどうして夢のあるコンビではないか。
 だが、ほっこりしていた久米島は、続く大貫の発言に不意打ちをくらった。

「でも私、ボリュームアップは必要ないんですけど」

 才原が商品を物色していた棚は、ボリュームアップブラのコーナーだったのだ。
 久米島は瞬時に理解してしまった。やはり才原は、プレゼントなどではなく自分用のものを買うつもりだったのだろう。

「……こいつ……ケンカ売っとんのか?」

 才原の目の表情が険悪になる。久米島は、きょとんとしている大貫の手を急いでつかんだ。

「優奈さん、また今度来ましょう。才原さんお忙しいみたいですし……」
「え、どうして?」

 久米島は仕方なく大貫の耳に囁いた。

「ご自分のを買いにいらしたんですよ」
「ええっ、そうなの?」

 大貫は、せっかく久米島が声をひそめた甲斐がなくなるような大きな声をあげ、しかもわざわざ才原の顔を覗き込んだ。

「才原さん、ご自分のブラ探してらっしゃるんですか? それならそうと言ってください! 私、お手伝いしますから」

 才原は久米島が今まで見たこともないほど赤くなった。

「え、いや、ええねんええねん!」
「遠慮しないでください。才原さん色が白いし華奢だから、こういう繊細なレースとかがお似合いだと思います」

 大貫はたじろぐ才原をものともせずに目の前の棚から淡いピンクのレースとリボンで飾られたブラを手に取り、才原の胸にあてた。胸の中心が深くV字になっていて、甘い雰囲気の割にはかなりセクシーだ。久米島も思わず言ってしまった。

「それ素敵ですね。大人っぽくてしかも可愛くて」
「ほんま?」

 引き気味だった才原がおそるおそる尋ねる。久米島はにこりとして大きく頷いた。
 普段の才原がどんな下着をつけているのかは知らないが、持ち物の趣味などからしてあまり頓着しないタイプなのではないかと思われる。キャリアを積んだ男役の彼女が一人でこのラブリーな店に下着を買いに来るには、きっと一大決心が必要だっただろう。
 久米島は考えを変え、大貫と一緒に才原の買い物を手伝うことにした。一人よりも、三人でわいわい騒ぎながらあれこれ試したほうが恥ずかしくないだろうから。

「才原さん、サイズいくつですか?」
「んー、たぶん、これぐらいかな……」

 自信なさげにサイズタグを見ながらブラを選んだ才原を見て、大貫は容赦なく言った。

「たぶんじゃだめですよ。体型って変わるんですから、ちゃんと測ってもらって試着しないと。さっちゃん、お店の人にメジャーもらってきて」
「はい」

 久米島がメジャーを渡すと、大貫は有無を言わさず才原を試着室に押し込み、いくつかの商品を持って自分も中に入った。見ず知らずの店員に裸を見られるよりは気心の知れた自分が測ったほうがよいと判断したのだろう。こういう女房役としての気遣いは、久米島も見習わなくてはと思った。とはいっても、久米島には戸澤にこんなことまでしてやる勇気はなかったが。いや、戸澤の場合はすべて金子が面倒を見るので久米島に出番はないのだ。
 カーテンの中でごそごそ動いたり言い争ったりしている二人が気になりながらも、久米島は周りの可愛い下着を物色しはじめた。才原との遭遇で忘れかけていたが、そもそもこれが目的でこの店にやってきたのだ。
 季節限定の春らしいパステルカラーの花柄のスリップを見つけて先にレジで会計をしていると、試着室のカーテンから転がるように才原が出てきた。シャツの乱れた胸元が妙に色っぽい。

「もうええわ、それで。その持ってるやつ全部買う」
「はあい。じゃあ、ショーツもセットにしましょうね」
「……勝手にして」

 溜息をついている才原が可愛らしくて、久米島は口元が笑いそうになるのをこらえながら、紙袋を受け取ってレジを譲った。

「すみません、お先に自分のものを買わせていただきました。優奈さん、本当に才原さんに会えて嬉しそうですね」
「あいつにはかなわん。買い物の途中やったのにごめんな」
「いいえ。仲が良くてうらやましいです」

 大貫がランジェリーの山をかかえてレジにやってきた。どれもこれも大貫の見立てらしいロマンチックでガーリーなデザインだ。
 才原が支払いをして包んでもらっている間、久米島はひそかに考えていた。こんな女らしいランジェリーを才原は誰の前で身に着けるのだろうかと。

「それにしても才原さん、こんな可愛いブラ、どこでつけるんですか? お稽古場ではいつも地味なのばっかりじゃないですか」

 久米島の思考をそのまま口に出したような大貫の遠慮ない言葉に、才原は眉をぴくりと動かして嫌味たっぷりの口調で答えた。

「教えなーい」
「才原さんのいじわる! さっちゃん、もう行こう」

 大貫はさっさと店を出ようとする。慌てて才原に失礼しますと会釈をし、久米島はふわふわロングの後姿にくっついて行った。
 デパートのエスカレーターを降りながら、久米島はくすりと思い出し笑いを漏らした。

「ほんとにお二人って、仲が良いですよね」
「そうかなあ。さっちゃんだって戸澤さんと仲良いじゃない」
「でもケンカしたりはできません」
「ふうん……そういうものなのかな。ね、才原さんに会ったら緊張して喉乾いちゃったから、二階のアンジェリーナでお茶しない?」

 とても緊張しているようには見えなかったが、その突っ込みは心の中におさめて、久米島は笑顔で頷いた。

「はい。モンブラン食べますよね」
「もちろん」

 それから二人はエスカレーターを二階で降りてサロン・ド・テに行き、甘い娘役デートのひとときを楽しんだのだった。

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