花ものがたり ―葵の章―

【6】


 長谷川にとって初めての合同公演からわずか3か月後の四月、降旗奏子は人事異動で松団から竹団へと移ってきた。そして降旗の代わりに竹団から松団へと異動になったのが、粟島甲子である。金子は、いけ好かない奴がいなくなったうえに気に入っていた娘役が来たと大喜びしていたが、長谷川は、人の好い金子がそんなふうに騒ぐのは実は寂しいからだということに気づいていた。

「つばささん、最近元気ないような気がするんです。いや、元気がないというか、空元気というか……」
「そうねえ。粟島さんがいなくなって、張り合いがないのかもしれないわね」

 稽古場の隅でコンビニおにぎりのランチをとりながら、長谷川は降旗に相談していた。金子の寂しさを何か楽しいことで紛らわせてあげられないだろうか、と思ったのである。

「奏子さんの歓迎会をしようって持ちかけてみましょうか」
「それはもうやって頂いたじゃない。……そうだ、合コンはどう?」
「えっ」

 長谷川は思わずおにぎりをかじるのも忘れて絶句した。もちろん、花水木歌劇団の団員といえども普通の若い女性と同じで、合コンに参加している者はたくさんいるし、男性と交際している人も珍しくはない。ただ、長谷川が、降旗はそういうことをしないと勝手に心の中で偶像化していただけなのだ。

「彼に友達を二人連れてきてもらって、私の家でホームパーティーするの。どうかしら」

 さらに追い打ちをかけられ、長谷川の思考は完全に停止した。

「あ、ああ……いいですね」
「じゃあお誘いしてみるわね。葵ももちろん来てくれるわよね?」
「はい……」

 花水木歌劇団では、先輩の誘いにノーと言ってはいけないのが暗黙のルールだ。長谷川は降旗の誘いを断るつもりはなかったが、それにしても自分がショックを受けているということ自体が大きなショックだった。降旗の付き合っている男とはいったいどういう人なのだろうか。それに合コンというものに誘われたのも初めてで、男役としてはどんな格好で行ったらいいのかわからない。
 結局、誰にも相談することができず、金子を励ますつもりが自分のほうが少し落ち込んでしまった気持ちのままで、長谷川は降旗の住むマンションを訪ねた。
 驚いたことに、降旗のマンションは想像よりもはるかに豪華な高級マンションだった。大きな自動ドアを二回くぐった先にロビーラウンジがあり、革張りのソファがたくさん置いてある。今まで尋ねたことはないが、もしかしたら実家がかなり裕福なのかもしれなかった。

「おじゃまします……。これ、飾ってください」
「いらっしゃい。まあ、ありがとう、オレンジの薔薇大好き。……葵、今日は可愛いシャツ着てるわね」
「こんな格好でよかったんでしょうか」
「完璧よ」

 長谷川は悩んだ結果、デニムのパンツに薄桃色のシルクシャツを着てきた。持っている洋服がシャツとパンツしかないので、その中でも女性が普通に着ていそうなものを選んだのだ。
 出迎えてくれた降旗は、白いワンピースにドット柄のエプロンをつけていて、普段より少し若く見えた。玄関で靴を脱ぐと、男物のスニーカー2足とローファーが並んでいるのに気づいて長谷川は神経がぴりっと引き締まった。

「つばささんは?」
「もうすぐ着くって、さっき連絡があったわ。どうぞ上がって」

 六人がゆったりと座れるオフホワイトの大きなソファセットが置かれたリビングルームでは、先客たちがワイングラスを片手にしゃべっていたが、長谷川が入っていくと「どうもこんにちは」と礼儀正しい笑顔で出迎えられた。想像していた以上に、身だしなみの良い日焼けしたリッチな雰囲気の男性たちだった。
 次々と差し出された名刺を受け取りながら、長谷川は恐縮した。

「すみません、名刺を持ち歩いていないもので」
「役者さんは顔が名刺みたいなもんだよね」

 男性たちはいかにも女性の扱いに慣れているという様子だった。長谷川はついつい男役の癖で観察モードに入ってしまい、彼らのグラスを口に運ぶしぐさやリラックスしたときの座り方などを鋭く見つめた。

「何飲みます? お酒大丈夫?」
「はい、いただきます。同じものを」

 長谷川は皆が飲んでいる白ワインを見て答えたが、そのときに一人のジャケットを着た男性がキッチンの方へ向かって叫んだ。

「かなちゃーん、グラスが足りないよ。ワインももう一本持ってきて」

 そしてその後、長谷川に向かって白い歯を見せて微笑んだ。

「すいません気が利かなくて」

 その瞬間、長谷川はカチンと来た。降旗ほどの素晴らしい女性が、なぜこの男に身内面でけなされなければならないのだ。

「とんでもない、私の方が後輩ですから……。ちょっと失礼します」

 長谷川は素早く輪を抜けてキッチンがあるらしい方へ行き、降旗の姿を探した。降旗は長谷川が持ってきたオレンジ色の薔薇のブーケを花瓶に生けていた。

「奏子さん、何かお手伝いしましょうか?」
「じゃあ、このワインとグラスを持って行って、あっちに座って、お話し相手をしていてくれる?」
「わかりました」

 キッチンには降旗が準備している途中らしいカナッペやサラダなどが並んでいた。リビングには何人もいるのに誰ひとり手伝おうとしないことが長谷川をさらに不愉快にした。
 リビングへ戻ると、ちょうどインターホンが鳴って金子が到着した。いつもどおりのラフなシャツとジーンズ姿なのに、金子のザ・スターという感じの明るいオーラでパーティーは一気に華やいだ。初対面の人ともどんどん話が盛り上がる金子の社交性に、長谷川は心の底から尊敬の念を抱いた。金子を励ますために開いた会なのに、すっかり頼ってしまっている。
 テーブルに料理が運ばれてくると、金子は素直に声を上げた。

「わあ、美味しそう。これみんな奏子さんが作ったの? すごいね!」
「いやあ、簡単なものしかなくてお恥ずかしい。お口に合うといいんですが」

 降旗の彼氏だというジャケットの男がまた余計なことを言ったので、長谷川は俯いて感情を抑えた。誰がこんな奴にワインを注いだり料理をとりわけたりするものか、今夜はとことん気の利かない女になってやる、と固く決意する。
 大皿に盛られたオードブルは盛り付けがとてもきれいで、丁寧に作られていることが一目瞭然だった。今までそぶりにも出さなかったが、降旗は料理が得意なのだ。すすめられた焼きたてのミートローフを一口かじって、長谷川は聞えよがしに降旗の方へ身を乗り出して言った。
 
「このミートローフ、すごく美味しいです! 今まで食べたことないくらい。どうやって作るんですか?」
「後でレシピを教えてあげる。葵が料理をするとは知らなかったけど」
「しますよ、時々は……」

 すると、ゴルフウエアブランドのニットシャツを着た男が好奇心をそそられたように聞いてきた。

「男役の方っていうのは、やっぱり私生活も男らしくしているものなんですか? 恋愛も女性としたりとか」

 男性たちはあははと笑った。金子も長谷川もそういう質問には慣れっこなので、お決まりのあたりさわりのない答えを返す。

「プライベートは自由ですよ」
「舞台の上では当然、本気ですけどね。骨の髄までなりきってます」
「葵は本当にすごいのよ。どんな役でもできるの」
「そうだね、将来60歳になったとき私たちのなかで一番有名になっているのは葵だと思う。女優としても絶対成功するよ」

 金子の言葉が嬉しすぎて、長谷川は首を振りながら赤くなった。しかし、そんな天にも昇る気持ちは一瞬しか続かなかった。

「でも女優としてじゃなくても、有名になっているかもしれないよ? 女性は誰と結婚するかで決まるから」

 にこやかな笑顔で降旗の彼氏がそう言ったとき、長谷川の中で何かがはじけた。これは今すぐ気を落ち着ける必要がある、と頭の片隅にかろうじて残った理性がささやく。

「奏子さん、タバコ吸ってもいいですか」

 すると降旗はなぜか反射的に彼氏のほうを見てから、すまなさそうに言った。

「ごめんなさい、吸うならベランダに出てもらえる? それとうちには灰皿がないんだけど……」
「灰皿は持っています」

 長谷川は儀礼的な笑みを張り付けて会釈し、金子に男たちの相手をさせて申し訳ないと思いながらも、星の見えるベランダへ出た。

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