花ものがたり ―葵の章―

【5】



 稽古場では今年初めて合同公演の演出助手についた若手の佐野武がマイクを片手に必死に叫んでいる。

「上手から松、竹、梅で団ごとに固まって座ってください! 台本を2種類と、オーディションの予定表を前から回しますので一人1部ずつ取ってください」

 長谷川は竹団の集団の一番後ろに座って、左右の松・梅の団員たちをちらちらと見やった。各団で主要な役を演じるスターたちと歌やダンスのスペシャリストたちが一同に会している様子は、熱烈な花水木ファンではない長谷川の目から見ても壮観だ。普段よく話す助手の佐野が緊張しているのも面白い。
 だがそんな余裕も、続く佐野の説明で吹き飛んだ。

「今年は和物のショウと洋物のショウの二本立てですが、さっそく明日洋物ショウの6場のダンスパーティーの振付があります。各団3役以外は全員が出演するシーンです。ペアダンスになりますので明日までに全員好きな相手とペアを組んでおいてください」

 その瞬間、稽古場は口笛と黄色い叫び声で沸き上がった。さっそくお調子者の誰かが高々と片手を挙げる。

「質問です! 相手は誰でもいいんですか?」
「はい。ですが合同公演なので、なるべくお客様にとって新鮮味のあるペアが望ましいと思います……僕の個人的な意見ですが」

 長谷川はひそかにこぶしを握り締めた。これは千載一遇のチャンスだ。落ちこぼれの一年生だった長谷川に「共演したい」と言ってくれた降旗と、もしペアで踊ることができたなら、どんなに良い恩返しになるだろう。うぬぼれかもしれないが、降旗も長谷川が声をかけるのを期待してくれているのではないか。
 その日は演出家による演目の概要の説明と歌のソロのオーディションが行われた。降旗はソロのオーディションを受けていたので、長谷川はその間ひとりで台本を読み、同期と何のオーディションを受けるかを相談して時間をつぶし、帰り際の彼女を捕まえるつもりだった。
 だが思いのほか話に夢中になってしまい、長谷川が気づいたときには、もう降旗は帰った後だった。

「葵、どうしたの? 焦った顔して」

 降旗の連絡先など入っているはずもない携帯を手に呆然と立ち尽くしている長谷川の肩をたたいたのは、同じ竹団の男役で三年先輩の金子つばさだった。西洋の巻き毛の少年のような中性的な容姿と伸びやかで躍動的なダンスが魅力の金子は、まだ六年目なのに竹団の若手のリーダー的存在だ。

「つばささん……、お疲れ様です。実は、まだ6場のペアの相手が決まってなくて」

 金子は明るい色の瞳をくるくると表情豊かに動かして驚いた。

「えっ、そうなの!? 今日はもう娘役さんたちみんな帰っちゃったんじゃない? 探すの手伝おうか」
「いえ、いいんです。明日、フリーの方がいたらお願いしてみます」

 下っ端で、ダンスに苦手意識の抜けない自分のような男役は、最後に残った人と組むのが分相応というものだ……長谷川はそう言い聞かせて納得しようとした。だが、面倒見の良い金子は許してくれなかった。

「明日じゃ遅いでしょ! 葵は誰か組みたい人いないの? 遠慮しないで言ってごらん。私、連絡とってあげるから」
「そんな、私は別に希望なんて……」
「だめだよ遠慮しちゃ。こういうときはハッキリ自分の意思を言わないと。流されたり、誰でもいいなんて逃げたりしてたらいつまでも一人前になれないよ」

 心配してくれる先輩の一言が、長谷川の胸に突き刺さった。降旗と踊りたい、と口に出して言うことすらできないような意気地なしが、降旗の相手としてふさわしいはずがない。
 長谷川は意を決して告げた。

「実は、一期上の奏子さんに声をかけようと思っていて、オーディションが終わるのを待っていたんですが、もう帰ってしまわれたみたいで……」
「奏子さんって、もしかして松団の降旗さんのこと?」
「はい。養成所時代にとてもお世話になった方なんです」

 金子はわずかに妙な表情をしたように見えたが、すぐに大きな笑みを顔いっぱいに浮かべて頷いた。

「よし、じゃあ電話しておいてあげるから。安心して。必ず葵と組んでくれるよ」

 その言葉に長谷川は違和感を感じた。金子は確かに友達が多いタイプだが、他団の娘役の電話番号まで登録しているものだろうか。それに、降旗はもう他の誰かと組む約束をしているかもしれないのに、必ず組んでくれると言い切るのはおかしい。
 そこまで考えて長谷川は気が付いた。

「つばささん、もしかして、奏子さんと踊る約束されたんですか……?」

 金子はしばらく目を不自然にそらしたあと、急に可愛らしくえへっと舌を出した。

「ばれちゃった? 私も期が近いから養成所のころからあの子知ってるけど、なんだか柔らかい雰囲気になったなと思ってすぐ声かけたの。でもそういえばちょっと答えに間があったような気がする……葵のこと待ってたのかもね。隅に置けないなあ」
「ち、違います、そんな……! それはないと思います。つばささん、奏子さんと組んで差し上げてください。そのほうが私なんかと組むよりずっと嬉しいはずです。もし私と組んだら立ち位置も一番後ろになってしまうし……、だからどうか私に譲ったりなさらないでください」
「だーいじょうぶ。とにかく電話しておくから。じゃあね、お疲れ様」

 必死の訴えもむなしく、金子は誰にも有無を言わさない爽やかな笑顔を残して帰って行った。
 悶々として寝付けない一夜が明け、ついにダンスパーティーの場面の振付の時間が来た。
 稽古場に現れた降旗は、長谷川の顔を見るなり真剣な表情で、

「金子さんにご挨拶してお礼を言ってきて」

と言った。その一言だけで、降旗と組めるのだとわかった長谷川は、興奮を腹の底にぐっと抑えて深々とお辞儀をした。今さらながら、実際に降旗と一緒に踊るのだと思うと体が震えてくる。こんなことが現実に起きるとは、養成所時代は夢にさえも思わなかった。
 いつもより三割増しに人数の多い稽古場の人混みの中でやっと探し当てた金子は、なんとスカート姿だった。あまりに予想と違う格好をしていたのでなかなか気が付かなかったのだ。

「どうされたんですか!? いったいどなたとペアに……」
「……甲子(こうこ)だよ。葵ちゃんは悪くない。あの阿呆が同時に8人に申し込まれて、誰か一人選ぶと喧嘩になるからって全部断りやがったんだよ。余った人と組めば誰も文句言わないだろうからって。だいたい男役のほうが人数多いのが間違いなんだよ……」

 甲子というのは金子と同期の竹団の男役・粟島甲子のことで、二人は親友でもありライバルでもある。普段は同じ舞台でしのぎを削る若手のホープが男女のペアを組むとなれば、確かに佐野のいう"新鮮味のあるペア"にはなるだろう。
 だが日頃この二人が稽古場でしょっちゅう言い争っているのを見ている長谷川は、申し訳なさにどっと冷や汗をかいた。

「本当にすみません!」
「いいのいいの、葵ちゃんが甲子の相手役させられるのは可哀想だもん。気にしないで、しっかり奏子さんをリードしてあげて」

 長谷川は、このダンスシーンを死ぬ気で稽古すると固く誓った。降旗に金子と組めなかったことを後悔させてはいけない。
 そして翌年、一月四日の新聞に、『新たな若手スターの躍進』というタイトルの公演評と共に金子と粟島が組んで踊っている写真が掲載された。偶然とはいえ、パートナーチェンジがお互いに功を奏したことで長谷川はやっと安堵したのだった。

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