花ものがたり ―葵の章―

【2】


「では81番の方。履歴書によるとあなたは全国学生演劇コンクールで二年連続優勝されていますが、なぜ女優ではなく男役になろうと思ったのですか?」

 花水木歌劇団養成所の入学試験の面接会場で、受験番号81番の長谷川は大きく息を吸い込み背筋を伸ばした。
 この質問は予想していなかった。面接ではほとんどの場合英語で志望動機を言わされる、と予備校講師に聞いていたからだ。
 女優になろうと思わなかったわけではない。この試験を受ける前、長谷川はいくつもの劇団や芸能事務所のオーディションを受けたが、すべて良い返事をもらえなかった。その理由はきっと顔のせいだろうと長谷川は冷静に思いながらもどこか傷ついていた。頬骨が高く、面長で、目だけがぎょろりとむき出したように大きい。瞼にくっつくように濃い眉毛がしっかりと生えていて、鼻は鷲鼻だ。美人とか可愛いとかいう言葉は子供の時から一度も言われたことがなかった。
 花水木歌劇団を受けたのは、大学を受験するために通っていた予備校の講師にすすめられたからだった。あなたのやってきた演劇とは違うかもしれないけれど花水木歌劇団を出たら女優として活躍する機会も得られるだろう、という説得に動かされて、にわか仕込みでバレエと日舞を習い、ダメで元々という気持ちで受験会場へ来た。

「本当は女優になりたかったのですが、オーディションに落ちました。特別男役になりたいわけではありません。身長が170センチなので男役で受験しました」

 そう答えると、目の前に並ぶ審査員たちが少しざわめいた。長谷川は、不合格に違いないと確信した。

「では、機会があれば女役もやりたいと思いますか」
「女役でも動物の役でも何でもやります」
「わかりました、ありがとう。では82番の方……」

 手ごたえがないどころか明らかに失敗した面接が終わって廊下へ出ると、制服姿で呼び出し係をつとめている養成所の生徒に声をかけられた。ひっつめ髪から伸びるすらりとした白いうなじが印象的な、ちょっとびっくりするほど綺麗な娘役見習いだ。やはりここに採用される人間は美しいのだなと長谷川は妙に納得し、自然と心が諦めモードに切り替わった。

「面接お疲れ様。あなた、何ていうお名前?」
「……長谷川、です……」

 いきなりフランクに声をかけてきた上に、その娘役生徒はずんずんと30センチほどの距離にまで近づいてきて、頭半分低い位置から長谷川を見上げた。思わず半歩後ずさる。

「ここでは、正直すぎると苦労するわよ」

 長いまつげと赤い唇をゆっくりと動かしてまるで誘惑するようにささやかれ、長谷川はあっけにとられた。

「心配いらないです。私、100パーセント合格しないんで」
「そうかしら。私は長谷川さん入ってくる気がするわ」

 それだけ言うと生徒は急いで持ち場へ戻って行き、機械的な声で受験番号の呼び出しを始めた。
 長谷川がその彼女と再会したのは、二か月後の養成所の入学式のときだった。寮の共同洗面所の鏡の前で畳み皺のついたシャツの襟元に不器用にスカーフを結んでいた長谷川は、ふと顔を上げて鏡に映った生徒を見つけ、驚いた。

「あ……」
「やっぱり来たわね、長谷川さん。入学おめでとう」

 長谷川が何も反応できないうちに、彼女はすっと手を伸ばして長谷川の襟元のスカーフを慣れた手つきで結びなおし始めた。

「あの、近いですよね、距離感。この前も……」
「ここでは普通よ」

 長谷川の鼻のすぐ下にある彼女の髪から、甘いシャンプーの香りが強く漂ってきた。同年代の女子だけで寮生活を送るうちに気安いボディタッチが習慣づいているのかもしれないが、ほぼ初対面の相手にいきなり顔が触れそうな位置にまで近づくのはおかしいと長谷川は思う。

「……試験のとき、どうして私に話しかけたんですか……?」
「面接の内容が聞こえたから。あなただけよ、廊下まで声が響いていたのは。男役らしい良い声だなと思って、どんな人だか見てみたかったの……あ、ごめんなさい、私二年生の降旗奏子(ふるはた かなこ)です。よろしく」
「よろしくお願いします。長谷川葵です」
「はい、できた」

 鏡を見ると、緑・金・紅の三色ストライプのスカーフが華やかに花のような形で結ばれていた。これは自分ではとてもできそうにない、と長谷川は思った。

「この結び方、どうやってやるんですか?」
「あとで教えてあげる。あなたの部屋番号は?」
「603です」
「私は703。同室者はいるけど、いつでも遊びに来ていいから」
「はい」

 ふるはた、という名前の美人な上級生は、ふわっと花のように微笑んだ。
 親切そうだがちょっと変わっているこの人は、なぜ自分に声をかけるのだろうか。なんだか騙されているような気さえしながら、長谷川は入学式の会場へ向かった。
 長谷川たちの学年は男役見習い十名、娘役見習い十名の総勢二十名で、一番で合格したのは倉橋真名という男役見習いだ。この養成所では成績一位の人が主任という役職を得て同期全員の上司となるのが規則だということで、倉橋はさっそく長谷川たち新入生を仕切り始めた。
 今すぐにでも舞台に立てそうなほど男役らしく髪型をリーゼントスタイルに固めた倉橋主任は、名簿を見ながら一年生を成績順に整列させようとしている。長谷川が名前を呼ばれて並ぼうとすると、生き生きとした茶色い瞳をきらめかせて制服の黒いスーツの腕をつかんできた。ここでは距離感が近いのが普通、というさっきの先輩の言葉は本当らしい。

「あなたが長谷川葵さん? そのスカーフの結び方いいね。あとで教えてよ」
「わからない。二年生にやってもらったから……」
「マジで!?」

 倉橋はそれが彼女の素顔らしい大げさな口調で驚いた。後になって分かったことだが、厳しい養成所生活では二年生と仲良くするなんて考えられないことなのだ。
 劇団員による長唄『君が代松竹梅』の祝賀舞踊を見せられ、養成所所長の挨拶と松団のトップスターの挨拶を聞いて、長谷川はやっと自分がこの劇団に入り男役として舞台に立つのだという実感がわいてきた。正直、演劇は大好きだがミュージカルやレビューというようなものには興味がなく、受験を決めてから一度竹団公演を観劇したぐらいで、養成所には合格したもののこれから自分が何をやってどうなるか具体的なイメージがほとんど湧かなかったのだ。だが、目の前で一糸乱れぬ舞踊を披露する劇団員たちを見て、その凛々しい美しさに初めて将来の自分の姿を重ねた。
 入学式が終わった後、長谷川は寮の703号室を訪ねてみようと思い立った。ほどいたら二度と出来そうにないこのスカーフの結び方を、明日に備えて習っておきたかったからだ。
 七階の廊下をうろうろして部屋のドアの前に立ち、さすがに少し緊張して扉をたたくのをしばらく躊躇しているとき、急に鋭い声が聞こえた。

「何してるの!」

 振り返ったときその人はもう長谷川のすぐ近くまで歩み寄っていた。小柄だが男役見習いの制服を着ている生徒は、先ほど顔を見覚えたばかりの二年生の主任・井之口夕子(いのくち ゆうこ)に違いない。

「一年生はこの階には立ち入り禁止って聞いてなかった?」
「あ……すみません」
「もしかして誰かに呼ばれた? 703に用事?」

 そのときの井之口の表情があまりにも険しかったので、長谷川は降旗に「いつでも来ていい」と言われたことを言い出せなかった。一年生がこのフロアに足を踏み入れてはいけないというのが規則なら、降旗の名前を出せば迷惑をかけることになるかもしれない。

「いえ……」
「じゃあ自分の部屋に戻って。以前、二年生が一年生を部屋に閉じ込めていじめた事件があったから、私が主任としてこの規則を決めたの。呼ばれても絶対に行っちゃだめだよ。私に言われたと言って断ること」
「はい」

 長谷川はお辞儀をして逃げるように下の階へ降りた。部屋を訪ねてはいけないというなら、どうやって二年生の彼女に話しかけたらいいのかと考えながら。

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