ウインクの行方


 国立銀座歌劇場と赤坂小劇場の十二月公演は、十二月二十六日に千秋楽を迎えた。
 そしていよいよ翌日から、全団合同公演の舞台稽古が始まった。二十七日と二十八日の二日にわたって舞台稽古をした後、短い年末休みになり、年明けの元日に初日を迎えるのである。
 舞台稽古一日目の今日は、洋物のショウ『輝けるスタンダード』のリハーサルが行われている。
 すでにほとんどのシーンは調整を終え、出番の終わった団員たちが着替えもそこそこに大急ぎで客席に集まっていた。
 これから松・竹・梅のトップと準トップ六名によるジャズメドレーの場面のリハーサルが始まる。劇団員は公演の本番を客席から見ることを禁じられているので、こんなミーハーができるのは舞台稽古のときだけなのだ。
 花水木歌劇団のショウの演出を務める演出家の桜庭文代(さくらば ふみよ)は、客席の十列目のセンターに座ってマイクを手にした。前の場面からの装置の転換はスムーズに行き、照明のプログラミングも完璧だった。あとは実際に団員たちを踊らせて全体の見栄えをチェックするだけだ。

「じゃあ一回通してやってみましょう。音楽お願いします」

 桜庭の指示のもと、オーケストラが演奏を始め、ライトがくるくると回り始めた。客席は期待に胸を膨らませた団員たちの歓声と拍手で盛り上がっている。
 最初の曲『セント・ルイス・ブルース』が始まると同時に、松団トップの才原霞がリーゼントヘアに漆黒のタキシードをまとってただふらりと舞台袖から歩いて出て来た。人待ち顔で腕時計を見たり煙草に火をつけたりのマイムの後、ドラムの登場と共に踊り出す。
 才原のダンスは端正そのものでまるで男役の教科書だ。しかし桜庭には、どこかアブノーマルな香りがあるようにも感じられた。時々ニヤリと笑ったりなどの細部のニュアンスがそう感じさせるのかもしれない。

「この振りいいですねえ。才原は芝居が上手いからこういうマイムっぽいダンスはほんと達者ですよね」

 隣で演出助手の佐野敦彦(さの あつひこ)がしみじみと呟いた。

「トップオブトップだからね。他の子たちとまともに勝負させないようにしたの」

 桜庭は自分の発想とその舞台効果に満足しながら台本に二重丸を書き込んだ。たいていの場合、才原にはダメを出すことなど何もない。
 二曲目になると急にリズムが速くなり、『キャラバン』の不安げな旋律が流れ出した。才原と交代したのは松団準トップの粟島甲子だ。白に近い金髪を櫛目の通った七三に分け、こちらも漆黒のタキシードを身に着けている。ダンスのみならず衣装のラインや氷のような流し目までがシャープそのものだ。
 粟島はしきりにセンターの桜庭に視線を飛ばしてくる。あまり真剣に見ているとファン殺しの瞳に心臓を射抜かれそうで、桜庭は意識して舞台全体を俯瞰するようにした。周りの客席に座っている娘役たちはみな目をハートにしている。

「やっぱ合同のリハは気合が違うんですかね。粟島が今から本イキなんて」
「準トップになったからじゃないの? 才原がよく教えてるみたいよ。あの子、手を抜けるところでは抜く、ってとこあったから」

 舞台稽古ではいつも立ち位置などを確認することに重きを置いてさらっと流す程度にしか動かない粟島だったが、今のダンスは本番さながらだった。桜庭はまたひとつ台本に二重丸を書き込む。
 続いて出てきたのは竹団トップの戸澤愛だ。渋い『モーニン』の曲に合わせ、短い髪をマフィアっぽくセンターパーツのオールバックに撫で付けている。がっちりとした肩幅でタキシードを完璧に着こなし、手足を決して必要以上に動かさない。そのストイックなダンスは神業的な格好よさだった。

「戸澤なんかトップにして、最初は竹団どうなっちゃうんだろうと思ったけど、立場は人を育てるってよく言ったものね」

 桜庭が思わず感慨深く呟くと、助手の佐野は忍び笑いを漏らしながら頷いた。

「すっかり貫禄あるトップ様になっちゃって。戸澤はいい意味で変わらないっつうか……後ろにいてもセンターに立っても同じなんですよね。僕は昔から彼女いいなって思ってましたよ」
「またまた。佐野君の調子のいいのが始まった。舞台に集中して」

 桜庭はおしゃべりに夢中になってはいけないと気を引き締めた。さすがにこのレベルの団員ともなると桜庭の立場でも油断するとただの観客になってしまう。
 曲が急に明るくなってトランペットのお馴染みのメロディが響き渡り『イン・ザ・ムード』が始まった。出てくるなり勢いよくジャンプ技を披露した竹団準トップの金子 つばさは、まるで足に羽が生えているかのように軽々と踊っている。躍動するたびに金茶色のウェーブヘアがふわりと風になびき、顔にかかった髪を振り上げたり掻き上げたりする仕草がセクシーだ。

「あれ、金子、髪固めてないの? 踊りづらくないかしら」

 激しい振り付けを心配すると、佐野はちっちっと指を振った。

「桜庭さん、あれが金子のこだわりなんですよ。髪の先まで思い通りに動かしてるって本人言ってましたから」
「何それ」

 笑ってしまうが、金子らしい言いぐさだ。それに、そう豪語するのも頷けるほど、ヘアスタイルを自分の個性にして他のスターたちとの違いを浮き立たせている。
 梅団のトップ・磯田未央の番になり、桜庭は姿勢を正した。今までに登場したスターたちがいわば実力派なのに対し、磯田はどちらかというとスター性で抜擢されたタイプである。どうやって他団のトップたちに対抗したらよいかと相談を受けていた桜庭だったが、その心配は杞憂だった。
 ねっとりとした『サマータイム』の演奏に乗せて現れた磯田は、黒い長髪をぴたりとオールバックにして後ろで一つに縛り、浅黒いメイクでラテン系の男を演じている。そのクレオールのような美しさは、一人だけ黒塗りなんて反則ではないかと思ってしまうほどだ。

「その手がありましたか! さすが桜庭さん」
「人にはみんなそれぞれいいところがあるものよ。全部同じ土俵で比較しなくてもいいの」
「なるほど、勉強になります」

 セクシーな魅力をさらに増幅するダンスもよく研究されていて、前回のショウより着実に上達している。桜庭はあとで本人に良かったと言ってやろうと台本にメモをした。
 最後に現れたのは梅団のもう一人のトップ、井之口夕子である。短髪をハードなディップで丁寧に立たせたツンツン頭で、センターに走り出て思いっきりキザにカフスを直したかと思ったら、ロックのように激しく踊りだした。曲は『シング・シング・シング』で、小柄な体をいっぱいいっぱいに使ったダンスは見ている人も一緒に踊りだしたくなるような楽しさがある。客席の団員たちから自然と手拍子が起こり、嬉しそうに微笑みながら踊る井之口を見て、桜庭は、演出家であるにもかかわらず単純に可愛いなと思ってしまった。すると、その気持ちを代弁したかのように佐野が呟いた。

「可愛いっすよねぇ……」
「君なんか眼中にないわよ」
「知ってますよう」

 唇をとがらせる佐野を見て、この小さい男では先程のクレオールには逆立ちしてもかなわないだろうとひそかに思う桜庭だった。
 メドレーで一人一人の男役芸をじっくり堪能させた後は、いよいよ全員が揃っての場面である。この御馳走感がたまらないんだわ、と桜庭は自分の作品に自己満足した。

「さっちゃん、私、どこ見ていいんだかわからないんだけど……」
「あれだけの方々に目線キメられたらお客様もいちいち反応しきれませんよね」

 何列か後ろの席の大貫と久米島がこそこそと話し始めたのが桜庭の耳にも届いた。さきほどのソロのときには観ることに集中しすぎて話どころではなかったらしい。
 舞台上では、才原たちが六人並んで『A列車に乗って』を歌っている。

「梅団の方たちは狙い澄まして一本釣りするよね」

 大貫がのんびり口調で感嘆すると、久米島がひそひそ声で突っ込んだ。

「松団こそ機銃掃射でしょう! 客席一帯やられちゃうくらいすごい破壊力ですよ」

 まさにその通りと桜庭が心の中でくすりと笑いながら賛同していると、大貫が答えるのが聞こえた。

「あれができるのはあの二人だけだから……ほかの団員は普通よ。そういえば、愛さんはそういうことなさるタイプじゃなさそう」
「いえ、舞台上でお互いにロックオンし合ってるので、客席まで見てる余裕がないんです」

 恥ずかしそうに言った久米島の言葉を聞き、桜庭はつい戸澤に注目してしまった。確かに、戸澤の視線はたびたび客席を素通りして隣の金子に行っているようだ。

「ねえ佐野君知ってた? 戸澤と金子」
「有名じゃないですか」

 そう言われても、桜庭は二年ほど竹団を担当していなかったので初耳だった。

「……ってことは、この舞台上に二つもカップルができてるわけ? あららら。もし松団の二人も付き合ってたりしたら、劇団に恋愛禁止令出したいわね」

 舞台の上の六人を見ながら呆れて溜息をつくと、佐野が声を潜めて囁いてきた。

「それがアヤシイらしいんですよ、松のワンツー。仲が良すぎるって」
「やめてよもう」

 豪華な合唱はあっという間に後奏に差し掛かり、照明が舞台を最高潮に盛り上げていく。そして、最後のポーズを決めると同時に全員がウインクをした。

「………才原さん……唇が、ゆうなって動いた……」
「キャー、愛さんとつばささんの二人分頂いちゃいました!」

 大貫の呆けたようなつぶやきも、久米島のはしゃいだ声も、そのとき、桜庭の脳にはまったく届かなかった。
 見るともなしに見ていた粟島の鋭いウインクに直撃されてしまったからだ。

「そういえば粟島さんって誰にウインクしたのかな。いつもファンが喧嘩にならないように気を遣っていらっしゃるけれど……」

 背後から聞こえた大貫の呟きに桜庭は固まった。まさか演出家に向けてしたことなど決してばれるはずがないと思っていても、年甲斐もなく心臓が高鳴る。
 心を落ち着けようと深呼吸をしていると、舞台監督がステージ上から大きく手を振っているのにやっと気づいた。あわてて握っていたマイクにスイッチを入れる。

「オッケーです。本番も今のとおりでお願いします。それと、粟島、話があるから後で来て」

 演出家に向かってウインクなど言語道断だ。それに才原との関係も念のため確認しておきたい。
 必死で厳しい表情をキープしながら台本にダメ出しの内容をメモしていると、佐野がぶしつけに聞いてきた。

「桜庭さん、今、粟島にウインクされてましたよね?」
「えっ? されてないわよ」
「あ、赤くなってる。花水木歌劇団入団三十年の桜庭さんでもドキドキするんだ」
「何言ってるの。男役はそれくらいの器量がなきゃ駄目なのよ」

 自分でも下手な言い訳だと思いながら、桜庭は、花水木歌劇団の演出家としてまだまだ修業が足りないと猛省したのだった。

おわり

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