ショッピング


 ある朝、梅団の後藤舞がいつものように稽古場に出勤すると、トップスターの磯田未央が突然ずかずかと近づいてきた。しかも眉間に皺を寄せて。
 磯田は人形のように整った顔をしているだけに、その表情が少しでも曇ると、見る者は不安を掻き立てられる。
 後藤も、何か怒られるのかと内心びくついたが、あえて明るく挨拶をすることにした。

「未央さん、おはようございます」
「おはよう。……舞ってさぁ、トップ娘役になって二か月もたつのに、いつもそういう格好しかしないよね」

 その日の後藤の服装は、ミッキーマウスの黒いTシャツにストレートのジーンズ、スニーカーだった。後藤は自分の体を見下ろして、首をかしげる。

「はい。でも、いいじゃないですか、普段は何を着てたって……」
「それはそうだけど。舞はほんとにそう思ってるの?」
「…………」

 それではいけないだろう、と後藤自身も思わなくはなかった。その他大勢のダンサーならいざ知らず、団を代表するトップ娘役なのだ。磯田と並んで綺麗に見えるように、もっと気を遣わなくてはならないのはわかっている。髪は伸ばし始めたとはいえ、今までと同じボーイッシュでカジュアルな服しか着ないというのは、あまり褒められたことではないような気がした。
 しかし、今まで男役だった後藤には、まず自分に何が似合うのかすらわからない。それにある日突然テイストの違う女らしい服を着るのにも抵抗がある。

「……すみません。未央さんはこんな相手役じゃ嫌ですよね……」
「嫌ってわけじゃないけど、もったいないよ、舞、可愛いのに。今日、六時になったらすぐ出られる? 一緒に買い物行こう」
「えっ?」
「服、私が見立ててプレゼントするから。明日からちゃんとそれ着て来ること。いい?」

 磯田の美しすぎる瞳に強く見つめられて拒否などできるはずもなく、後藤はその夜、渋谷へと連れ出されたのだった。

「未央さんっていつもこんなギャル系の店でお買い物してるんですか?」
「うん。安いから」

 至極単純な理由に深く納得しつつ、後藤は磯田の後からおとなしくエスカレーターを上がって行った。小さなショップがひしめくように並んだファッションビルは、たくさんの若い女性客で混み合っている。
 磯田は迷わずその中の一店に入って行った。店の奥の壁全面が棚になっており、サンダルからブーツまで多種多様な靴がびっしり並んでいる。

「ヒールは高くない方がいいから、これとこれと、それからこれとこれね。履いてみて」

 磯田が選ぶ早さは恐ろしく早い。しかも後藤を店内の椅子に座らせて、自分は店員のごとく床に跪き、次々に靴を履かせるのだ。
 その様子は周囲の目を引き、後藤はいたたまれない気分になった。しかしそれも磯田がカードを切って品物を手に店を出るまでのほんの数分のことだ。
 そして、次に向かった店は、後藤がついぞ寄ったことのないような乙女チックなムード満点のショップだった。

「ここで買うんですか?」
「うん。舞ってスレンダーだけど意外と甘い感じが似合うと思うの」
「あの……ちょっとは私の好みとかも考えて欲しいんですけど……」
「それは今度自分で買いに来たときにしてくれる?」

 磯田は取りつく島もない。今まで服装に対して相当言いたいことが溜まっていたようだ、と後藤はやっと気がついた。
 磯田は後輩に口やかましいことは言わないが、それは十回我慢して十一回目に言うからだ、と、磯田をよく知る先輩の井之口が以前後藤に教えてくれたことがある。だから磯田に言われたことは必ず聞くんだぞ、と。

「未央さん……、まさか、それですか?」

 磯田が手にしたのは白い総レースのワンピースだった。七分丈の袖がひらひらと広がり、スカートの丈も背の高い後藤が着れば膝上十五センチにはなるだろう。
 レースの服など、もちろん後藤は舞台衣装以外で一度も着たことがない。

「とりあえずベーシックな感じでいいんじゃない。ちょっとサイズが大きいかもしれないから、着てみて」

 磯田の命令に従い、後藤がかなりの勇気を出して試着室から出てくると、満足げに頷く磯田の隣で、二十歳ぐらいのギャルっぽい店員がハイテンションな声を上げた。

「カワイー! 超似合いますね。足長いし超スタイルいい!」
「でしょ?」

 磯田はなぜか自慢げだ。
 しかし、後藤はこんなに短いスカートなど生まれてこのかた履いたことがない。

「でもこれ、足出すぎじゃないですか? レギンスとか合わせればなんとか着れそうですけど……」
「レギンスは好きじゃない」
「あっ、そういう男の方多いですよね。このカチューシャとかどうですか? 上のほうに視線を集めると足元あんまり気にならないですよ」

 男の方、と言われたことも磯田は全く気にしていない様子で、店員のすすめるカチューシャのコーナーを見に行ってしまった。
 深く被ったソフト帽からワンレンの髪をのぞかせ、細いジーンズを腰ばきにして大きめのシャツをルーズに着こなした磯田は、どこからどう見ても、漫画の中から抜け出たビジュアル系バンドのギタリストのようにしか見えない。
 こんな男が現実にいるわけないでしょと心の中で店員に突っ込みながら、後藤は白いワンピースを脱いで私服に着替えた。
 数分後、ワンピースと一緒に磯田が物色してきた小物を包装しながら、ギャル店員がにこやかに後藤に話しかけてきた。

「彼氏さん、めっちゃかっこいいですね」

 それを聞いた磯田が微妙な笑いに口元をひくつかせるのを見て、後藤はあわてて言った。

「いや、彼氏じゃなくてただの上司だから」
「ほんとですかー?」
「ほんとほんと」
「いいですねー、お洋服買ってくれるかっこいい上司なんて」

 意味ありげに笑う店員は、確実に二人の関係を誤解しているようだった。一刻も早く気まずい状況を抜け出したくて、後藤は店の出口まで送ろうとする店員から紙袋を強引に受け取った。
 だが、瞬く間に、さらにそれを磯田に奪い取られてしまう。

「じゃ、舞、帰ろう。送ってくよ」

 背中に手を回され、その磯田の鍛え抜かれたエスコートの仕草がどんなに気障に見えるか知っている後藤は、恥ずかしさに赤面した。

「ありがとうございました、また来てくださいね!」

 興奮に弾みきった店員の声を聞いて、後藤は、トップスターの絶大な力を改めて思い知ったのだった。


おわり

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