子供の喧嘩



 十二月に入り、本公演の合間を縫って、正月の全団合同公演の稽古が始まった。
 竹団はツアー中だが、毎週金曜日に現地に入ってリハーサルを行い、土日に昼夜公演をして日曜日の夜に帰ってくるという変則的なスケジュールなので、週の半分は本部で過ごしている。まず竹団が午前中から稽古を始め、松団・梅団の団員たちが舞台を終えて本部に戻ってきた後、夜十時から合同練習をするのが日課だった。残業続きのヘビーな毎日に、花水木歌劇団のタフな団員たちもかなり疲れてきている。
 竹団の準トップ・金子つばさは、必死にあくびを噛み殺しながら、稽古場の隅に置かれた自分の椅子に座って、三人のトップスターが振付を受けているのを見ていた。一応戸澤の代役になっているので覚えるつもりで集中しなければならないのだが、疲れのためについぼんやりしてしまう。
 ふと隣の椅子に人の座った気配があり、金子はいつものように竹団の稽古場にいるつもりで呟いてしまった。

「やっぱり愛さんってダンスうまいなあ。花水木歌劇団史上、一番かっこいいスターだよねえ……」
「一番ってことないんじゃないの」

 低く冷静な声で切り返され、ぎょっとして隣を見ると、座っていたのは竹団の仲間ではなく、同期入団で松団準トップの粟島甲子だった。
 粟島とは、養成所時代からずっと成績一位を争うライバルで、同じ竹団に配属になってからもオーディションで役を競り合い、入団七年目に粟島が松団へ異動になるまで顔を合わせればケンカをしていた。別の団になって五年がたち、お互いに大人になった今でも、年に一度の合同公演の時期になると些細なことで言い合いになる。ケンカするほど仲がいいとはよく言うが、まさにこの二人はそういう関係だった。

「いいじゃん、私が一番だって思ってるだけなんだから」
「なるほど、色ボケか」
「何だって?」

 金子は真っ赤になって粟島を睨んだ。確かに恋人だからという贔屓目はあるが、戸澤が類まれな才能を持ったダンサーであることも、男役として洗練されていることも事実である。それを色ボケなどと言われたのでは、まるで戸澤の魅力を否定するようではないか。
 粟島は片足を膝の上に乗せてダンスシューズの紐を締めながら、金子の顔を見もせずに言った。

「客観的に見て芝居も歌も才原さんのほうが上でしょ」

 もちろん才原の能力は認めるが、わざわざ『客観的に見て』などと付け加えてくるところが気に食わない。金子はわざと粟島の神経を逆なでするように言い返してやった。

「でも背が小さいじゃん。愛さんはスタイルいいもん。やっぱり見た目が大事だよねー」
「……何やて?」

 粟島の言葉の抑揚が変わり、初めて氷のような視線をぎらりと金子に向けてきた。そう来なくては始まらない。さっきまでの眠気はすっかりどこかへ行ってしまっていた。

「出た出た、甲子の関西弁。トップさんのガラ悪いのが移ったんじゃないの?」
「お前こそ愛さんのボンヤリが移ったんと違うか? 眠たいことばっかり言いよって」
「何だとこのむっつりスケベ! 甲子みたいに愛想のない子、才原さんはよく準トップにしてくれてるよね」

 言い終わったか終わらないかで、金子は息をのんだ。パーカーの胸倉を粟島の白い手にきつく握り込まれたのだ。
 いつものじゃれ合いのつもりで投げた言葉だったが、よほど気にしていることに触れてしまったのだろうか。
 そういえば粟島は人付き合いがあまり上手いほうではない。キャリアの離れた厳しそうな才原の下に付き、人間関係で苦労しているのかもしれなかった。
 謝らなければと焦った瞬間、ドスのきいた才原の声が飛んできた。

「おいそこの二人! ……粟島、その手は何や。金子に謝れ」

 才原は二人のところへ真っ直ぐに歩み寄って来た。
 粟島はすぐに手を離し、無言でかすかに頭を下げた。その素直さに少し戸惑いながら、金子も小さな声でごめんと言った。稽古場はいつの間にかざわついており、二人がくだらない言い合いをしている間に休憩時間に入っていたようだ。
 才原は粟島の淡い金色の髪に手を置くと、金子に向かってニヤリと笑った。

「確かにむっつりスケベやけどな、こいつも意外とええとこあんねんで。金子のほうが私よりよう知ってるやろ。同期やねんから」

 な、と金子に向かって頷くことを強制し、ぽんぽんと軽く粟島の頭を叩くと、才原はそのまま稽古場を出て言った。
 たとえ相手が先輩でも自分が納得しない限り言うことを聞かない頑固者の粟島が、才原にはまるで子供のようにおとなしく従っているのを見て、金子は心底驚いた。いったい才原はどんな魔法を使って粟島を手なずけたのだろう。

「才原さんって、不思議な人だね」
「凄い人やで。つばさの言うとおり、どうして私なんかを側に置いてくれてるのかわからへん」

 粟島は掠れた声で言いながら両手でゆっくりと前髪を掻き上げた。それを見て、金子は急に強烈な懐かしさを覚えた。入団して一、二年目の頃、粟島は悔し涙を隠すのによくこの仕草をしていたのだ。
 金子はピンときてしまった。

「ねえ、甲子、もしかして才原さんのこと好きだったりする?」
「どアホ。またどつかれたいんか」

 眉間に皺をよせる粟島の頭を、さっき才原がしていたように金子はぽんぽんと叩いた。

「大丈夫だよ、甲子なら。自信持って。何でも相談乗るからさ」

 すると粟島は無言で金子の首に腕をかけて締めつけてきた。今度は覚悟していたのでむしろ望むところだ。プロレスごっこよろしくワーワー文句を言いながら格闘していると、戸澤に見つかってしまった。

「つばさも甲子ちゃんも何やってるの? 相変わらず仲良いねえ。愛さん妬けちゃうな」
「すみません」

 二人は殊勝らしく謝ったが、戸澤が行ってしまったあと顔を見合わせて小さく噴出した。
 戸澤と付き合い始めた頃、戸澤の心がわからなくてつらかったときにいつも粟島は黙って隣にいてくれた。その恩を返せるときが来たのなら、どつかれるくらい何でもない。
 こんな愛情いっぱいの同期と先輩たちに見守られて仕事ができる花水木歌劇団の一員でいられることを、金子はつくづく幸せだなあと感謝したのだった。



おわり

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