クリスマスデート


 松団娘役トップの大貫優奈は、食堂のテーブルの上に大きなスケジュール帳を広げ、色とりどりのペンやシールで年末のこまごました予定を書き込んでいた。
 スケジュール帳を可愛く仕上げることは大貫の趣味のひとつで、そのため予定もその場では書き込まずにデスクのあるところで落ち着いて書くことにしている。
 飾り文字を書くことに集中していると、突然顔の横で聞き慣れた声がした。

「何や、イブの予定、真っ白やん」
「才原さん!」

 大貫は慌てて手のひらでカレンダーを隠した。

「勝手に見ないでください! プライバシーですっ!」

 十二月二十四日は公演中の平日で、マチネのあとに一月の合同公演の稽古がある日だ。とはいっても年頃の娘たちの集う花水木歌劇団のこと、どうにか時間をやりくりして恋人とのクリスマスを過ごそうとする団員も多い。中にはおおっぴらに有給をとって稽古を抜け出す者もいるくらいだ。もちろん初日の迫った公演の稽古をさぼるようなことをして大目に見られるわけもないが、先輩に怒られることぐらいは覚悟の上である。
 しかし、大貫はそんな無理をする相手もなく、いつもどおり稽古に出た後、そのまま寮で独り身の寮生たちのクリスマスパーティーに参加するつもりだった。

「二十四日、暇なんやったら優奈に付き合ってほしいとこがあるねんけど」
「えっ?」
「デートしよ」

 いつもからかわれている大貫は、まるで自分の妄想そのもののシチュエーションに疑心暗鬼になりながら才原の顔をまじまじと見てしまった。

「本当ですか……?」
「ああ」
「ほんとにほんとにほんとにほんとにほんとですか?」
「……嘘ついてどないすんねん」

 呆れ顔の才原に背中を小突かれ、大貫はぽうっとしてしまった。
 ファン時代から憧れていたスター・才原霞の相手役になれただけでも幸運すぎるほどなのに、クリスマスイブにプライベートなデートに誘われるなど、罰が当たりそうである。

「それで、返事は?」
「はい、行きます、もちろん! 何があっても!」

 大貫はさっそくピンクのきらきらペンを手に取り、二十四日のマスの中にハートマークをいくつも書き込んだ。
 約束の日、朝からブラックスーツに白のドレスシャツで現れた才原に、松団の団員たちはどよめいていた。いったい仕事の後にどんな予定があるのかと楽屋でも噂で持ち切りになっていたが、大貫はひとことも漏らさなかった。誰かに自慢したが最後、この幸せが泡のように消えてしまうのではないかという子供のような不安があったからだ。
 本部での稽古が終わり、大貫は急いで寮の自室に戻ってとっておきの服に着替えた。この冬買ったばかりの、広く開いた襟元にファーのあしらわれた白いワンピースである。ひっつめの髪を解いてふわふわにさせ、化粧を直し、長手袋をしてキャメルのケープを着て駐車場に下りると、大貫の身支度の間にレンタカーを借りてきた才原が待っていた。

「お待たせしてすみません」
「八時言うたのに十分も遅刻や。早く乗って」

 大貫は才原がドアを開けてくれたプリウスの助手席に乗り込んだ。運転する才原を隣で眺めるという夢のようなシチュエーションに、しゃべるのも忘れてしまう。

「地元でしか乗らんさかい、東京の道はちょっと怖いな。優奈、カーナビ操作して」
「あ、はい……」

 リモコンを押し付けられてようやく我に返り、言われたホテルの名前を検索して目的地に設定した。
 流した黒髪を耳にかけた才原の横顔は、通り過ぎる車のライトやネオンに照らされて浮かび上がったり影になったりする。顎から耳にかけての輪郭と滑らかな喉のラインの美しいことといったら……金曜の夜の渋滞にうんざりしたようにしかめられている眉間の皺さえも、痺れるほど格好良いのだ。
 三十分後、二人がやって来たのは、レインボーブリッジを見下ろす、湾岸地区のホテルの最上階にあるラウンジだった。タキシードを着たウェイターが二人を窓際のテーブルへと案内し、才原にメニューを手渡す。

「クリスマスのスペシャルカクテルもご用意しておりますので、ぜひお試しください」
「あの、デザートビュッフェは?」
「申し訳ございません、デザートビュッフェは午後六時までとさせていただいております。只今はバータイムでございまして……」
「ええっ!」

 才原の残念そうな声は隣のテーブルにまではっきりと聞こえてしまったようで、クリスマスデートの真っ最中らしいカップルがこちらをチラチラと見ているのに気づき、大貫は赤くなった。

「才原さん……」
「ほんまごめん、優奈。この店のケーキ食べ放題が美味しいて聞いて、一個を半分ずつにしたらたくさんの種類食べれると思って誘ってんけど……」

 付き合ってほしいというのはそういうことだったのか、と大貫は納得した。そういえば才原は甘いものが好きで酒が一滴も飲めないのだ。ホテルのお洒落なバーでカクテルを楽しむなどというプランを立てるはずがない。

「残念でしたね、もう終わっちゃってたなんて……」
「私としたことが不覚やったわ。まあ、せっかくやから何か飲んでく?」
「はい」

 大貫は嬉しくてにっこりと頷いた。とにかくこのバーは雰囲気が最高なのである。夜景を楽しむために照明をぎりぎりまで落としてあり、窓の外には湾岸の美しい明かりがきらめいている。流れているジャズは生演奏だし、テーブルの上のキャンドルの明かりも神秘的だ。
 才原はオレンジジュースを、大貫は才原のすすめでクリスマススペシャルのカクテルを注文し、出てくるのを待っていると、ふと隣のカップルの会話が耳に入ってきた。

「ねえ、あの人たちって、女どうしだよね?」
「マリちゃん、あんまりじろじろ見ないの。世の中にはいろんな境遇の人がいるんだから」
「タケシさんってそういう偏見がないところが大人だよね。かっこいい」

 大貫は、才原と思わず顔を見合わせて苦笑した。確かに、クリスマスイブにホテルのムードたっぷりなラウンジにいれば恋人同士と思われるのが自然だろう。花水木歌劇団の常識は世間の非常識、ということもあるのだ。
 ロマンチックなデートを満喫したいと思っていた大貫だったが、周囲の視線やイチャイチャなどが気になって落ち着かず、結局飲み物を飲み終わるのもそこそこに店を出た。

「優奈! どうしたの? 才原さんとデートじゃなかったの?」

 同期で同室の瀬尾みゆきが、食堂に入ってきた大貫を見つけて驚いた顔をした。
 いつもは殺風景な寮の食堂も、今夜は団員たちの手によって色とりどりのモールやリースで飾り付けられ、大音量のクリスマスソングが流れている。テーブルの上にはオードブルやチキンなどが並べられ、養成所の生徒たちが飲み物の乗ったお盆を持って席の間を回っていた。
 これが、毎年恒例の本部のシングル・パーティーである。

「帰ってきちゃった」

 大貫は脱いだケープと小さなバッグを椅子に置いた。瀬尾は人ごみを掻き分けて大貫のところへ近づいて来る。

「何かあったの? 才原さんは?……あっ」
「お邪魔します。瀬尾、ケーキ買って来たで。コンビニのやけど」

 才原は、酔っ払って帰宅した父親よろしくケーキの箱を揺らして見せた。瀬尾は慌てて両手でそれを受け取り、そっとテーブルに置いた。瀬尾もまさか寮生でもない才原がここへ来るとは思っていなかっただろう。

「デート、どうしたんですか?」
「めっちゃロマンチックやったで。夜景の見えるバーで大人のデートいう感じで。な?」
「はい。すごく素敵なホテルでした」

 居心地が悪くてすぐに出てきたなどとは決して言わない才原の見栄っぱりに調子を合わせながら、大貫は、二人だけの秘密ができたような気がして嬉しくなった。
 才原はどっかりと椅子に座り込み、タイを緩めながら大きな溜息をついた。

「とにかくお腹空いたな……」
「はい、私もです。何か持ってきましょうか?」
「あ、優奈は座ってて、私が持って来るから。サラダでいいですか?」
「うん、あとケーキもすぐ食べたい」
「はいはい」

 その後、他の団員たちも才原が来たことに気づき、思いがけないゲストの登場にパーティーは大いに盛り上がった。才原を慕う者たちが一言でも言葉を交わそうとテーブルに集まってくる。
 不思議なことに、車の中に二人きりでいたときよりも、たくさんの仲間に囲まれ笑い声に包まれている今のほうが、大貫は隣にいる才原の暖かさをより感じていた。
 トップコンビというのは、劇団の中で皆に認められているからこそ成立しているカップルなのだと、そのときやっと大貫は知ったのだった。


おわり

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