サンタの贈り物


 12月24日がクリスマスイブなのは一般人だけだ。
 劇場の公演はいつもどおりに行われ、当然花水木歌劇団の団員たちもいつもどおりに働く。しかも、終演後には翌1月の松竹梅合同公演のための稽古まで設定されているという念の入りようだ。

「年間スケジュール発表されて、12月公演が入ってるってわかったときのガッカリ感ったらないよね……」
「そう?」

 一日2回の公演を終え、ぐったり疲れて本部へ帰ってきた磯田未央は、稽古大好きな井之口夕子に片腕を引っ張ってもらいながらまたすぐさま稽古場へ入った。
 国立銀座歌劇場の本舞台と寸分違わぬ大きさの板張りの稽古場は、何十年も床板を削ったり張り直したりしながら使われ続けている。固いヒールをはくとすぐに傷がついてしまうが、花水木歌劇団ではダンスはダンスシューズを、日本舞踊は足袋をはいて踊るので、木の床のほうが適しているのだ。
 そんな年季の入った稽古場では、これまた年季の入った劇団員が磯田たちを待っていた。

「おう、磯田、井之口、おかえりー」
「お疲れ様」

 出迎えてくれた才原のTシャツも粟島のTシャツも、汗でよれよれになっている。12月に公演がない松団は朝からぶっとおしで稽古していたのだ。
 合同公演の稽古は、その月に公演のない団員がまず全部を覚え、ほかの団の出演者に教えるという方式になっていた。だから今年は松団の皆が先生役をつとめるということになる。

「ただいま帰りました。もうみんな揃ってるんですか?」
「いや、戸澤たちが来てない」
「えっ? 竹団はツアー中だけど、たしか今日は東京にいるんじゃ……」

 才原と粟島は顔を見合わせて肩をすくめた。その様子を見て井之口が眉根を寄せる。

「もしかして……サボリじゃないですよね?」
「さあな。携帯通じないけど」
「マジですか!?」

 仰天している井之口とは反対に、粟島は冷静に時計を見る。

「21時集合だし、食事が終わったら来るんじゃないの」
「ほんま信じられへん新人類」
「えー、ずるいー。私もサボればよかったー」

 ぼやきながら磯田は床の上に座りこんだ。そんなことが許されるのなら、井之口とどこか素敵な場所へクリスマスデートとしゃれ込みたいのに。梅団のトップという立場でなかったらどんなに怒られたとしても迷わずデートを選んでいただろう。
 ふと心に疲労が押し寄せたその隙に、無防備な脇腹を才原に狙われた。

「磯田、だらだらするな」
「ヤダー、才原さんに犯されるー!」

 かすれた声で叫んだが誰も助けてはくれなかった。井之口は粟島と楽しそうに何かしゃべっていてこっちを見てもくれない。

「夕子、冷たい……」
「今夜は私があったかくしたるでー」
「やめてください」

 才原の攻撃から身を守るようにおなかをかかえてうずくまっていると、目の前の鏡に、頭の先から足の先まで真っ赤な服を着た人物が映りこんできた。肩には大きな白い袋を担いでいる。

「ウォッホッホッホ、メリー・クリスマース!」

 へんてこりんな低い声は誰のものだかわからない。しかし、あっというまに稽古場じゅうの団員たちが歓声をあげながらその人物へ群がっていった。
 白いひげをめいっぱい顔に貼り付けた、完全無欠のサンタクロースに。

「よいこのみんなに、プレゼントだよ〜」

 サンタクロースは白い大きな袋から菓子パンを出してひょいひょいと配り始めた。若い団員たちは我先に携帯を持ち出して写真を撮ってはしゃいでいる。
 そのとき磯田は、少し離れた稽古場の入り口付近でにこにこしながらサンタを見守っている金子に気付いた。そうか、このサンタは大食いな竹団のトップに間違いない。

「つばささん、おはようございます。すごいですね、あの衣装どこで借りたんですか?」
「ん? ドンキで……じゃなかった、ほら、本人夢の国から来てるつもりだから……」

 磯田はついクスッと笑ってしまった。金子のような優しい恋人がいて戸澤はなんて幸せなのだろう。

「未央ちゃんも遠慮しないでプレゼントもらいに行きなよ」
「はい。つばささんは?」
「私はもう、たくさんもらったから」

 ふっふっふ、ときらきらした目を細める金子は、恋人と満足のいくクリスマスイブを過ごしたようだった。

「いいなあ、うらやましい。私もツアー中だったらよかったな」
「何言ってんの。公演で夕子ちゃんとの絡みあるんでしょ? がんばらなきゃ」
「それはそれ、プライベートはプライベートですよ」

 喋っていたところへ才原が人の悪い笑みをうかべて近づいてきた。

「おはようさん。戸澤はまだ?」

 才原のおとぼけに、金子もこれまたとぼけた演技で答える。

「さっきまで一緒だったんですけど。すぐ来ると思います」
「一緒って、デート? 二人でどこ行ってたん?」
「内緒です」
「まあ、そうやろな」

 才原が面白くなさそうな顔をしたのを見て、磯田は少し気が晴れた。一日中仕事だったのは松団の皆も同じなのだ。
 とはいえ仕事中にも好きな相手とずっと一緒にいられるという恵まれた環境なのだから、贅沢は言わずに気持ちを切り替えるしかない。溜息のような深呼吸をひとつ吐いたところへ、サンタの服を脱いだ戸澤が挨拶をしにやって来た。

「愛さんただいま参上。遅れてすみません」
「大丈夫、まだあと1分あるし。ホテルでしっかりウォームアップしてきたんやろ?」

 鮮やかにカマをかける才原に、戸澤は見事にひっかかった。

「えっ? つばさが言ったんですか?」

 才原は自分で言わせたくせにますます不機嫌な顔になった。もちろん磯田も、稽古の前にデートのフルコースを済ませてきた二人が妬ましい。

「クリスマス気分は終わり! 振り移し、一回しか踊らへんから死ぬ気で集中しろよ」
「ええっせめて三回……ほら、このメロンパンどうぞ」
「……しゃあないな。三回踊ったるわ」

 メロンパン一個で簡単に態度を軟化させてしまった才原を見て、磯田はよろけそうになった。あまりにもふがいなさすぎる。
 余裕を勝ち得た戸澤はにっこり笑って磯田にも菓子パンを差し出してきた。

「未央ちゃんにもメロンパンあげるね。夕子ちゃんは?」
「いますよ。さっき粟島さんと話してて……」

 確かあのあたりに……と振り返ったとたん、当の二人の姿が目に飛び込んできて磯田は変な声をあげてしまった。
 粟島は黒の、そして井之口は水色のロングスカートを履いていたのだ。
 ダンスの稽古用スカートはサテン地で、裾はフリルの切り替えになっている。裾を持って踊ることもできるたっぷりとしたフレアスカートだ。上はいつもの胸があるかないかもよくわからないTシャツ姿だが、スカートを履いただけで女に見える。
 背が高くスレンダーすぎる二人の娘役は、いつもの歩幅でずかずかと歩いてきて戸澤に会釈した。

「わあ……甲子ちゃんが娘役なんて珍しいね」
「そろそろ稽古を始めましょう。つばさ、早く着替えて。今日はデュエットダンスの振り移しだから」
「あ、うん、わかった。甲子、その格好……似合わないね」
「うるさい。こんな可愛い子が横におるからや」
「それ言わないでください!」

 珍しく粟島にかみついている井之口の、片手で掴めそうなきゅっと締まったウエストラインに、磯田はもう理性を保つのが精一杯だった。
 さっきまで稽古をさぼってデートがしたいなどと思っていた自分を葬り去りたい。こんなキュートな井之口の娘役と踊れるなんて、これがサンタクロースからの奇跡のクリスマスプレゼントでなくて何だというのだろう。


 六人だけが移動した稽古場で才原と粟島によるお手本が披露されたとき、磯田は思わず自分の口を手のひらでおさえていた。それくらい刺激的な光景だったのだ。
 曲は哀しみのソレアード。愛し合いながらも別れる男女を表現した振付は、振りの数は少ないのだが、それだけに踊り手の表現力や芝居心が試される。
 才原と粟島のダンスは、まるで映画のワンシーンのようだった。義のためにどうしても旅立たねばならない男と、悲しみを殺してプライドを保ったまま見送る女……そんな人生のドラマを感じさせる。

「才原さんの包容力すごいよねぇ。あの甲子ちゃんがすっかり女になってるもん。私も一緒に踊ったら女に見えるかな」
「サイズ的に無理」

 才原はタオルで汗を拭きながら戸澤に心ない一言をあびせた。
 しかし戸澤はまったく気にする様子もなく、

「そんなことないでしょー。じゃ、私も踊ります」

と金子の手を引っ張って前へ出て行く。
 さっきはせめて三回などと言っていたくせに、一度見ただけでもう踊れるのだ、この人は。磯田は自分が竹団の準トップでなくて良かったと心から思った。引っ張り出された金子は青い顔をしている。

「つばさ、甲子ちゃんばっかり見てないで私を見てよ」
「無理ですって!」

 そう言いながらもなんとか曲についていっている金子も相当なものだった。パワフルな二人のダンスは、才原たちのような切ない場面ではなく、希望に満ちた別れと再出発に見える。
 トップスターと準トップによる三組のカップルを並べて同じ振りを踊らせるこの場面の狙いはまさにそれだった。カップルごとの異なるストーリー、関係性を見せられなければ意味がない。磯田は早くもプレッシャーを感じながら、とにかくまずは振付を頭に入れようと必死で才原と戸澤の動きを目で追った。
 そして三回目には、粟島に手招きされて磯田たちも踊らなければならない状況に追い詰められた。

「夕子、いける?」
「たぶん」
「ごめん、私ボロボロかも」
「大丈夫、リードするから」
「しちゃだめでしょ、もう。夕子が女役なんだからね?」

 女役をさせられることへの不満が顔にありありと出ている井之口を納得させるためにも、ここは男役の意地を見せるしかない。
 気合で挑んだソレアードは、井之口が振りをほぼ覚えていたこともあってなんとか最後まで脱落せずに通すことができた。ほっとする間もなく才原から厳しい注文が飛んでくる。

「ほな次は感情入れていこうか」
「ちょ、待ってください! ちょっと二人で相談させてください」
「へえ、演技プランとか作るの?」
「だってもうそっちは出来上がってるじゃないですか。ずるいですよ」
「じゃあ時間ないから1分だけな」

 磯田はとりあえずタイムをもらって井之口を壁際に連れて行った。

「ねえ、夕子はどういう雰囲気でやりたい?」
「未央に任せる」
「それじゃ困る! 1分しかないんだから何かアイデア出して。別れがテーマって言っても、私たちじゃ才原さんたちほど大人のムードも出せないし、戸澤さんたちみたいにテクニックもないし、何か強い感情表現しないと見劣りしちゃうよ」

 井之口は腕組みをしたまま肩をすくめた。

「別に、生きてりゃいつかは別れがくるんだから、どんなのでもいいんじゃないの」

 その冷めた言葉は磯田にひとつのひらめきを与えた。
 どんなに愛し合った恋人も、いつかは死によって別れのときを迎える。その予感を観客に感じさせるフラグは、幸せの針が振り切れるほどの愛の絶頂だ。これ以上ないほどに愛し合う二人を描き出せば、その先にはもう別れしかないのではないか。まるで心中の前夜のように。

「わかった。じゃあ私たちは今の素直な気持ちで踊ろう」
「はいはい」

 磯田は井之口の手を取ったまま、お待たせいたしましたと自分たちのポジションに戻った。
 録音の前奏が始まり、フランス語のボーカルが流れる。もうすぐ終わる二人の時間……最後にもう一度ぬくもりが欲しい。あなたとの思い出が私を支えてくれる。この愛をくれてありがとう。
 磯田は一瞬も井之口から目を離さなかった。不思議なことに、感情を入れるとうろ覚えのはずの振りがすっと出てくる。愛しい気持ちが自然にあふれて、微笑みかけたら井之口もはにかむような笑顔を返してくれた。このまま時間が永遠に止まればいいのに……。
 クライマックスのキスをする振りで思わず本当に唇をつけてしまったのを、目ざとい才原に見られてしまっていたらしい。

「こら、誰がほんまにキスしろって言った」
「すみません。本番ではしませんから……」
「当たり前や。戸澤たちもやで。気付いてないとでも思ったか」
「えへへ……でも才原さんもしてたでしょ」
「してへんわ!」
「まあまあ、今夜は良いってことにしようよ、イブなんだし」

 そのとき磯田は見てしまった。粟島がくすりと笑ったのを。あれは絶対にキスしていたに違いない。
 結局、仕事だとはいっても、今年は最高に恋人らしいクリスマスを過ごしているような気が磯田はしていた。見つめ合って、ダンスをして、キスをして、周りには祝福してくれる仲間もいて。
 三組の恋人たちの秘密のダンスパーティーは、イブが終わるまで賑やかに続いたのだった。

おわり

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