仮面の下


『I LOVE YOU NO NO NO〜♪』

 センターに立つ三人のトップスターたちの甘い歌声に、深夜の稽古場を埋め尽くした娘役たちが黄色い声を上げる。
 もうすぐ初日を迎える一月の三団合同公演の目玉は、各団の選抜メンバーで結成されたアイドルグループが歌うアイドルソングメドレーだ。そのトリを飾るのが、松竹梅のトップスター三人による少年隊のナンバー『仮面舞踏会』である。スタンドではなくヘッドセットのマイクを使用したハードな振付に更新し、アクロバットを完コピした華やかなステージングは、身内である団員たちも熱狂するほどの仕上がりになっていた。
 稽古の後は銀座のバーに集まり、過密なスケジュールで溜まったストレスを吐きだしながら一杯ひっかけて帰るのが、少年というにはトウの立った男役たちお決まりのコースだ。

「なんで倉橋がヒガシなんだよ」

 先ほど娘役の嬌声を一身に集めていた先輩から理不尽なツッコミと共に髪の毛をぐしゃりと乱され、梅団トップの倉橋真名(くらはし まな)は苛立ちながらその手を払いのけた。

「しょうがないじゃないっすか、年の順なんだから。粟島さんを差し置いて私がセンターとるわけにいかないでしょ?」
「高村なら良かったのに」
「ああああそれ言う!?」
「確かに杏里ちゃんはヒガシ役にぴったりだよね。色白いし、背が高くてイケメンだし」
「金子さんまで……」

 倉橋は三年先輩のトップスター二人の間に挟まれ、長い飴色のカウンターにがっくりとうつ伏せた。
 倉橋の右側に座っている松団トップの粟島甲子(あわしま こうこ)、そして左側に座っている竹団トップの金子つばさ(かねこ つばさ)とタッグを組んでの三団合同公演は、普段ひとりで団を率いている倉橋にとって気楽といえば気楽だが、その分、先輩二人に左右からいじられなければならないのである。

「でもほら、真名ちゃんは腰振るの上手いから」
「……せめてトリプルが回れるからとか言ってくださいよ」
「それは私も回れるもーん」

 確かにそうなのだが、それにしても、チャラ男のイメージを独り歩きさせるような誤解を招く言い方は、わざとに違いない。
 倉橋はヒガシのパートをコピーしているので、間奏になるとひとり前に出て行って三回転のターンを100%決めなくてはならず、一公演のすべての集中力をそこでピークに持っていけるように気を遣っていた。

「あと、ほら、甲子はバク転ができるからやっぱりニッキじゃないと」

 金子は、ざっくりとした白いタートルネックに顎を埋めてロックの焼酎をすすりながらにんまりした。彼女はこの中で唯一、トップとして合同公演に出た経験があり、粟島と倉橋というトップ初心者を従えて挑む合同公演をリラックスして楽しんでいるようだ。
 それに対して、今年半ばにトップに就任したばかりの粟島は、ぱりっとしたシャツの上にガンクラブチェックの細身のジャケットを着込み、リラックスとは程遠い美しい姿勢でスツールに腰かけている。こんなバーでの一場面さえブロマイドにできそうなほど絵になっていた。

「お前のほうが得意やろ。なんで一番年上がバク転やらされなあかんねん」
「年上って言っても1か月かだけでしょ。都合のいい時だけ出してくるんだから」
「つばさが一番楽な役って、納得いかへんわ」

 粟島は珍しくお国訛りで愚痴をこぼした。しかしそう文句を垂れながらグラスを上からつかむ指が、男役の美学を粋に表している。倉橋は思わずそのしぐさを心のメモに記録しつつ、尻馬に乗った。

「確かに。なんで金子さんだけ楽してるんですか? 私もずるいと思いまーす。トリプルとバク転は日替わりにしません?」
「二人がそうしたいなら私は別に日替わりでもいいよ」

 金子は倉橋の急な提案にも余裕を失わないまま、頬杖をついた手の指をぱらぱらと動かした。さすがは養成所時代に粟島と成績一位を争いながら一度も負けたことがないという伝説の持ち主だ。

「それは嫌や。かえって緊張する」
「うわ、ワガママ……! せっかく真名ちゃんが優しいこと言ってくれたのにね」

 提案はお流れになったが、倉橋は密かに、千秋楽は絶対どっちも金子にやらせようと心に決めた。もしくはファンミでもいい。いや、ファンミではメンバーを変えて準トップ3人にやらせよう、それこそ高村がヒガシ役で……などと脳内で妄想を繰り広げていたところへ、不意打ちのように金子が囁いた。

「ねえ、真名ちゃんと杏里ちゃんってどういう関係なの?」
「はい?」

 とっさに落ち着いて見せようとした演技はうまくいったはずだが、眼鏡の奥の目が動揺でまたたいたのを金子は見逃してくれなかった。

「今の反応怪しい。なんかものすごーく仲良さそうだったんだけど。今日お稽古場で」

 倉橋は頭の中で素早く今日の稽古場での高村とのやりとりをプレイバックしながら、演技だと思われないように少しだけ微笑んだ。

「仲は良いですよ。杏里が小さい頃から面倒見てきたんで」

 小さい頃、というのは団員特有の用語で、入団したばかりのまだキャリアの浅い時代をさす。

「へえ、そんなに長い間付き合ってるんだ」
「そうじゃなくて……付き合ってるとかじゃないっすよ、マジで」

 情けなさを押し殺して否定した後、倉橋は思わず小さな溜息を漏らした。本当はこういうときにこっそりトップ同士で惚気話を打ち明けあったりしたいのに、高村とはまだプラトニックな恋愛にすら発展していない。倉橋の方では告白したつもりだったが、どうも暖簾に腕押しというか、素直すぎる高村に受け流されてしまうのだ。

「じゃ、片想い?」
「いやいや、ほんとにそういうんじゃないですから」

 大げさに手を振って否定したそのとき、右側で黙ってウイスキーを舐めていた粟島がしれっとした顔で倉橋越しに金子の方へ身を乗り出した。

「つばさ、それはガセ。高村には付き合ってる男がいるらしい」

 その言葉を理解した瞬間、倉橋は理性では制止できない衝動で粟島のジャケットの肩を両手でつかんで引き起こし、激しく動揺する心のまま噛みつくように揺さぶった。

「はぁっ!? 冗談っすよね!? つかそれどこで聞いたんですか!?」
「倉橋、静かに」

 粟島の冷たい人差し指にぴたりと額を押さえられ、倉橋はやっとこれは罠だったのだと悟って脱力した。金子の手のひらに深紅のスウェットの背中を優しくさすられ、なだめてもらわなければ落ち着くことができない暴れっぷりが恥ずかしくなる。

「真名ちゃんは遊び人だって噂聞いてたけど、真っ直ぐで一途なんだね」
「遊びは遊びでやってますけどね。……すみません、ついカッとなって……」

 乱れたジャケットの襟元を直している先輩に、倉橋は小さくなって頭を下げた。本当なら絶対に許されない無礼だが、粟島は怒るどころか眉一つ動かさずに言った。

「いや、ごめん。今のは嘘だから」
「……ったり前っすよ」

 スツールの短い背もたれにそっくり返って腕を組み、倉橋は安堵のあまり深い溜息をついた。もし本当に高村に恋人がいたら……そう考えるだけで自分でも想像もしなかったほど奈落に突き落とされた気分がする。
 粟島は倉橋のためにマティーニのおかわりをもらってくれた。

「おごるよ」
「じゃあ遠慮なく。……粟島さんは、付き合ってる人いないんですか?」

 自分が逆上したせいで気まずくなってしまった空気を変えようと倉橋は尋ねたが、両側の二人から同時に返ってきたその答えが意外過ぎて、飲みかけの酒にむせた。

「片想い」

おわり

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